HISTORICAL PERSON · 1266年没

ユーグ (ブルゴーニュ伯)

シャロン伯ジャン1世の子で、母はブルゴーニュ公ユーグ3世の娘。1236年に16歳でアリックスと結婚してブルゴーニュ伯となり、多くの子女をもうけて、息子のオトン4世が跡を継いだ。

生涯
1266年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

ユーグ・ド・シャロンは、ブルゴーニュ伯の称号を妻との結婚によって得たフランスの貴族である。ユーグ3世・ド・シャロンとも呼ばれ、ブルゴーニュ伯ユーグともいう。一二二〇年ごろ(一二二〇年から一二三〇年のあいだともいわれる)に生まれ、父はシャロン伯ジャン1世、母はその最初の妃で、ブルゴーニュ公ユーグ3世の娘マオー(マティルド)である。エリザベートとマルグリットという二人の姉妹がいた。父はこの後さらに二度結婚しており、異母兄弟には、のちに分かれたシャロン家の流れの祖となった人々や、リエージュの司教からブザンソンの大司教となった同名のユーグ、ジュネーヴ伯夫人となったアニェスがいる。

結婚の契約は、ユーグがまだ十六歳のときに結ばれた。相手は、のちにブルゴーニュ女伯となるアリックス(ベアトリスとも呼ばれ、メラニー家の出)である。その父は結婚によってブルゴーニュ伯を兼ねた公で、娘のひとりを嫁がせると約束していた。契約には五年の猶予が置かれたが、結婚は一二三六年に行われ、日付は十一月一日とされる。この結婚によって、ブルゴーニュ宮中伯の家の年長の枝と年少の枝のあいだの対立が収まった。翌一二三七年には、父のジャンがシャロンの領地を手放す代わりにサランの領主権を得ている。

一二四八年に義兄にあたるブルゴーニュ伯が暗殺され、アリックスが伯位の相続人となった。父のジャンは、その勢力の大きさゆえに地方で大きな役割を果たしていた。父子のあいだには緊張もあったが、ユーグを自らの実質的な後継者かつ家長とし、財産を遺している。ほかの息子たちは、一二六七年に父が亡くなったあとで、残りの財産を相続することになった。

ユーグとアリックスの子には、のちにブルゴーニュ伯となるオトン4世、モンブリゾンとアスプルモンの領主となったユーグ、ルノー、ジャン、エティエンヌらがいる。ルノーはヌーシャテル家のギュメットと結婚してモンベリアル伯となった。娘たちはそれぞれ名家へ嫁ぎ、エリザベートはキーブルク伯ハルトマン5世、イッポリトはヴァランティノワ伯エイマー4世、ギヨンヌはピエモンテの領主トンマーゾ3世・ディ・サヴォイアの妻となった。アニェスはパニーの領主に嫁ぎ、二人の娘がフォントヴロー修道院の修道女となり、ベアトリクスは修道院長となった。

ユーグは一二六六年に亡くなり、父より一年早く世を去った。遺体はシェルリュー修道院の教会に葬られた。妻のアリックスは翌年、五十八歳でサヴォイア伯フィリップ1世と再婚したが、この結婚に子はなかった。アリックスは一二七九年に没したが、後継者を決めないままだったため、長男のオトンが兄弟たちを抑えて伯領の当主となった。ユーグの紋章は、赤地に銀の鷲を描いた古いブルゴーニュ伯領の紋章で、アリックスの印章の鷲は双頭であった。

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