伝記
イワン・ペトローヴィチ・パブロフは、1849年9月14日(グレゴリオ暦9月26日)に生まれ、1936年2月27日に没した帝政ロシア・ソビエト連邦の生理学者である。
リャザンで、貧しい牧師の長男として生まれた。10人きょうだいの最年長だったとされる。子どもの頃は皿洗いや弟妹の世話といった家事を進んで手伝い、園芸や自転車、ボート、水泳が好きだった。1857年、高い塀から敷石の上に落ちて重傷を負い、長く病床についたため、7歳で文字は読めたものの、正式な教育を始めたのは11歳のときだった。1860年にリャザンの教会付属学校で司祭になるつもりで学び始め、1864年にリャザン神学校に進み、1869年に卒業した。やがて神学を離れて自然科学へ向かい、1870年にサンクトペテルブルク大学へ進学した。イリヤ・ツィオンの弟子となり、外科医になった。パブロフは両利きだったため、手術が上手だったらしい。1876年に軍医学校へ進み、1879年に医師の資格を取得し、研究で金メダルを得て卒業した。
医師となってからは、ボートキンの生理学研究所に就職した。1881年にセラフィマ・カルチェフスカヤと結婚し、1883年に博士の学位を取得した。1884年から1886年までドイツに留学し、ライプチヒ大学のルドウィッヒ教室とブレスラウ大学のハイデンハイン教室で研究した。1888年に消化生理学の研究を始め、1890年に軍医大学校の薬理学教授に就任し、1891年には実験医学研究所の生理学実験室の長となった。1893年にはアルフレッド・ノーベルから、医学研究所の規模を倍にできる額の寄付を受けた。消化腺の研究では、消化管に管を通して胃液を得る方法を確立した。複雑な手術で、10年以上をその習得に費やしたという。1897年に『主要消化腺の働きに関する講義』を出版し、同書は1899年にドイツ語訳された。
1902年、唾液が口の外に出るよう手術した犬で唾液腺を研究中、飼育係の足音で犬が唾液を分泌していることを発見し、そこから条件反射の実験を行った。犬の頬に手術で管を通し、ベルを鳴らしてからエサを与えることを繰り返すと、ベルだけで唾液を出すようになる。さらにベルだけを鳴らし続けると反応は次第に消えるが、数日後に同じ実験をすると、再び唾液を分泌する。前者を消去、後者を自発的回復という。この成果は行動主義心理学の古典的条件づけや行動療法に大きな影響を与えた。1904年に消化腺の研究でノーベル生理学・医学賞を受賞し、ロシア人として初の受賞者となった。授賞式では、消化腺よりも条件反射と無条件反射についての演説を行った。1907年にロシア科学アカデミーの会員に選ばれ、1910年には研究用の防音の研究室「沈黙の塔」の建設を始めた。
1917年にボリシェビキ党が政権を握ると、ノーベル賞の賞金を没収された。1920年6月に生活に困窮して国外移住の希望を伝える手紙を送ったが、手紙を読んだレーニンは、偉大な科学者の国外移住を避けるため、全面支援を命じた。1923年に『高次神経活動の客観的研究』を出版した。1924年のレニングラードの洪水で犬が溺れかけ、固定されていた条件反射が変化したり消えたりしていることから「実験神経症」の研究を始めた。1935年には第15回国際生理学会を主催した。2度目の肺炎の発作の後に死去した。時間を厳守し、毎日運動をするなど、規則正しい生活を生涯続けたとされる。
同じ年に亡くなった人物
- ブラス・インファンテ (1936年没)
- ロラ・モラ (1936年没)
- ジョン・ウッドロフ (1936年没)
- シャルル・ジュール・アンリ・ニコル (1936年没)
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