伝記
ブランシュ・ド・ナヴァールは、ブルターニュ公ジャン1世の妃である。ナバラ王テオバルド1世と、その2番目の妃アニェス・ド・ボージューの長女として生まれた。生年は1220年、1225年以前、1226年などと一定しない。父はシャンパーニュ伯でもあったことから、ブランシュ・ド・シャンパーニュとも呼ばれる。父は3度結婚しており、のちにナバラ王となるテオバルド2世やアンリ1世は、父の3番目の妃マルグリット・ド・ブルボンが産んだ異母弟にあたる。
1225年1月、ブランシュはブルゴーニュのオトンと婚約したが、この結婚は実現しなかった。1234年に父がナバラ王位に就くと、ナバラの王女として知られるようになった。1236年1月16日、ピカルディのシャトー=ティエリで、ピエール1世とアリス・ド・トゥアールの子であるジャンと結婚した。
2人のあいだには8人の子が生まれた。1239年に長男ジャン2世が生まれ、のちに父の跡を継いでブルターニュ公となった。1241年には次男ピエールが、1243年には長女アリックスが生まれ、アリックスはのちにブロワ伯ジャン1世・ド・ブロワ=シャティヨンの妻となった。そのあとに生まれたティボー、もう1人のティボー、アリエノール、ニコラは幼いうちに亡くなり、いずれもサン=ジルダ=ド=リュイス教会に葬られた。末子ロベールは1251年に生まれて1259年に亡くなり、ナントのコルドリエ会修道院教会に葬られた。1268年には次男ピエールも世を去った。
1275年10月5日、ブランシュはブルターニュのエンヌボンにノートルダム・ド・ジョワ修道院を創立した。1283年8月、シャトー・ド・エデで亡くなり、この修道院に葬られた。享年は58歳ごろとされる。子のジャン2世は母のために、リモージュで造らせた銅の立派な墓を建てた。しかし墓そのものは残らず、横たわる像だけが伝わり、パリのルーヴル美術館の収蔵品となり、現在はランスで展示されている。夫のジャン1世は、それから3年後の1286年10月8日に亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
- 文天祥 (1283年没)
- マーガレット・オブ・スコットランド (ノルウェー王妃) (1283年没)
- フィリップ1世・ド・クルトネー (1283年没)
- カルマ・パクシ (1283年没)
- ザカリーヤー・カズウィーニー (1283年没)
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