HISTORICAL PERSON · 紀元前46年没

ウェルキンゲトリクス

アルウェルニ族出身のガリアの族長。カエサルのガリア戦争で諸部族をまとめて抵抗し、ゲルゴウィアで勝ったがアレシアで降伏し、ローマで処刑された。フランス最初の英雄とされる。

生涯
紀元前46年没
死亡地
イタリア共和国(ローマ県 / ローマ)
出生地
フランス共和国(Augustonemetum)
出典
世界地図
イタリア共和国(ローマ県)

伝記

ウェルキンゲトリクスは、ガリア(現在のフランス)に住むケルト人の一部族、アルウェルニ族の出身で、古代ローマのガリア侵略に抵抗した人物である。生年は紀元前72年とされ、没年は紀元前46年である。フランスでは最初の英雄、ガリア解放の英雄と称される。名はガリアの言葉で「上」や「大」を意味する語、「戦士」を意味する語、「王・首長」を意味する語からなるとされ、「戦士たちの最高の首長」ほどの意味に解されている。

父ケルティルは、ローマと戦うためにガリアの諸部族をまとめ上げたのち、暗殺されたと伝えられる。資料の一つには、ウェルキンゲトリクスが若いころローマ軍の補助兵として仕えたとも、紀元前56年にカエサルが父を庇護して部族長の座に就かせたが、父が殺されてもカエサルは助けなかったとも記されている。いずれにせよ、彼は二十歳前後で族長となった。ローマのガリア総督となったカエサルは、紀元前58年から数年をかけて「分割して統治する」策をとり、有力者を優遇し、部族間の不和を利用しながら、ほぼガリア全域を軍事的に押さえていった。

やがて、ローマ側が政治的な困難を抱えていることを知ったガリアの指導者たちは、ドルイドや首長らの合議によって全土での蜂起を決めたとされる。カルヌテス族はオルレアンでローマ市民を虐殺し、その知らせは短時間のうちにガリア全土へ伝わって、カエサルを驚かせたという。アルウェルニ族はウェルキンゲトリクスの指揮下にあったが、当初は故郷の都市ゲルゴウィアの指導者たちに、無謀な冒険であるうえ、父のように王位を狙う者だと警戒され、都市から追われた。しかし彼は人望に自信があり、田野で人々を集めて最初の軍勢とし、その兵とともに都市へ入って住民を説き伏せ、臆病者や裏切り者を追い出した。

その後、ガリアの主要な諸族に使者を送り、蜂起と自らの指揮下への参加を呼びかけ、多くの部族の同盟を得た。それまで統率のとれていなかった諸部族を対ローマの統一部隊にまとめ、各地でのゲリラ戦、ローマ軍の兵站線の寸断、焦土作戦などを展開して、ローマ軍を苦しめた。アウァリクムは包囲戦の末に陥落したが、ゲルゴウィアでは反撃に成功し、ローマ軍に勝利した。これがゲルゴウィアの戦いである。

しかし最終的には、ガリアの都市アレシアに追い詰められ、ローマ軍に包囲された。突破を図ったが失敗し、部下たちの安全を条件に降伏した。これがアレシアの戦いである。その後ローマへ送られ、6年間トゥッリアヌムに投獄されたのち、紀元前46年にカエサルが挙行した凱旋式で引き回された。同じく捕虜として引き回されたクレオパトラの妹アルシノエやヌミディア王ユバの幼い王子には、観衆から同情が寄せられて助命されたが、ウェルキンゲトリクスは絞首刑に処された。

近代に入ると、彼はフランス最初の英雄として顕彰され、アレシアがあった村にはナポレオン3世の命で銅像が建てられた。クレルモン=フェランの中央広場にはバルトルディの像が、サン=ジェルマン=アン=レーにはミレーの像が立つ。1959年に始まった漫画『アステリックス』にも、その姿が投影されているとされる。

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