伝記
ハインリヒ6世は、13世紀のルクセンブルク伯である。フランス語ではアンリ6世と呼ばれ、「獅子伯」の異名をもつ。1240年ごろ、ルクセンブルク伯ハインリヒ5世と、バル伯アンリ2世の娘マルグリット・ド・バルの長男として生まれた。父は金髪伯とも呼ばれた人物である。生年を1250年とする説もある。
1260年ごろ、ボーモン領主ボードゥアン・ダヴェーヌの娘ベアトリスと結婚した。結婚の時期は、1265年5月22日とも伝えられる。ベアトリスは、エノー伯ジャン1世の弟であるボードゥアンと、フェリシテ・ド・クシーの娘で、フランドル女伯マルグリットの孫にあたる。1266年ごろ、プレニーの戦いのあとで父が捕らえられると、ハインリヒは弟のワレランとともに、ルクセンブルク、アルロン、ラ・ロッシュの伯領を共同で治めた。2人は報復として、メスの司教領とバル伯領の境界の土地を荒らした。1270年から72年にかけて父が十字軍に加わったときも、兄弟はふたたび伯家の摂政を務めた。
1281年に父が亡くなり、ハインリヒは伯位を継いだ。治世の多くは、ヴィアンデン伯やトリーア大司教、リエージュの司教公といった隣人たちとの争いに費やされ、とくにリンブルク継承戦争に深く関わった。ヘルレ伯レイナルトとケルン大司教ジークフリートに味方し、ブラバント公ジャン1世と敵対した。1285年に詩人ジャック・ブルテルが作った詩『シャンヴァンシーの馬上槍試合』では、ハインリヒは主人公として描かれ、妻ベアトリスもたたえられている。
1288年6月5日、継承戦争を決着させたヴォリンゲンの戦いで、ハインリヒは戦死した。弟のリニー領主ワレランと、父の庶子のボードゥアンらも、同じ戦いで命を落とした。ブラバント公ジャン1世の騎士に討たれたという。ベアトリスとのあいだには5人の子が生まれた。長男ハインリヒ7世が跡を継ぎ、のちに1308年にローマ王に選ばれ、1312年に皇帝として戴冠した。ほかに、ブレシア包囲戦で戦死したワレラン、1307年から1354年までトリーア大司教を務めたバルドゥイン、修道女となったマルグレーテ、1298年にルーヴェンのジャン・トリスタンと結婚したフェリツィタスがいた。
同じ年に亡くなった人物
- ルドルフ1世 (1288年)
- メヒティルト・フォン・ホルシュタイン (1288年没)
- アニェス・ド・ダンピエール (1288年没)
- ベアトリス・ド・ブラバン (1288年没)
- ハインリヒ3世 (マイセン辺境伯) (1288年没)
同じ地域に関係する人物
- ヘルムート・レント (1944年没)
- ヴォルフガング・ホフマン (2020年没)
- アウグスト・ザンダー (1964年没)
- ハンス・シュパイデル (1984年没)
- ユストゥス・カール・ハッスカール (1894年没)