伝記
アニェス・ド・ダンピエールは、13世紀のブルボン女領主である。ブルボン家の名でも知られ、1262年から亡くなるまで、ブルボンの領地を治めた。1237年ごろ、ブルボンとダンピエールの領主アルシャンボー9世と、ヌヴェール、オーセール、トネールの3伯領の相続人だったヨランド・ド・シャティヨンのあいだに、次女として生まれた。同じ年、父はブルゴーニュ公ユーグ4世と取り決めを交わし、まだ子供だった長女マオー(マティルド)を公の跡取りのオドと、アニェスを公の次男ジャンと、結婚させる約束をした。
1248年、父母はフランス王ルイ9世の第7回十字軍に従って出発し、アニェスは大叔父のギー・ド・ダンピエールに預けられた。同じ年、姉のマオーはオドと結婚し、アニェスも、オドの弟でシャロレ領主のジャン・ド・ブルゴーニュと結婚した。艦隊が立ち寄ったキプロスでは疫病が広がり、父は1249年に亡くなった。母ヨランドは、遺体とともにフランスへ戻った。のちに母も亡くなると、姉が3伯領の相続人となった。1257年ごろには、娘のベアトリスが生まれている。
1262年に姉が亡くなると、アニェスはブルボンの領主権を受け継いだ。ヌヴェール、オーセール、トネールの3伯領は、姉の娘たちが相続し、姉の夫オドがその摂政として治めた。夫のジャンは1267年(1268年ともされる)に遺言を残して亡くなった。1272年、娘のベアトリスは、ルイ9世の子クレルモン伯ロベールと結婚した。2人の長男ルイ1世が初代ブルボン公となり、ここからカペー家系のブルボン家が続いた。
1277年、アニェスは、妻のアミシー・ド・クルトネを亡くしていたアルトワ伯ロベール2世と再婚した。この結婚に子はなかった。翌1278年には遺言を作り、8月に補足の書き付けを加えた。1288年9月7日にリールで亡くなり、シャンペーニュの修道院に葬られたとも、コルドリエ会の修道院に葬られたともいわれる。ブルボンの領主の地位は娘のベアトリスが継いだ。アニェスは、この地を治めたブルボン・ダンピエール家の最後の人物であった。
同じ年に亡くなった人物
- レシェク2世 (1288年没)
- ハインリヒ6世 (ルクセンブルク伯) (1288年没)
- アダン・ド・ラ・アル (1288年)
- メヒティルト・フォン・ホルシュタイン (1288年没)
- ゲルトルート・フォン・バーベンベルク (1288年)
同じ地域に関係する人物
- カルロ1世 (シチリア王) (1285年没)
- グナエウス・フルウィウス・ケントゥマルス・マクシムス (紀元前210年没)
- ピオ神父 (1968年没)
- リッカルド・カラペッレーゼ (1995年没)
- イザベラ・オブ・イングランド (1241年没)