伝記
デキムス・ラベリウスは、紀元前105年頃に生まれ、紀元前43年に没したとされるローマの騎士階級の人物で、ミムス(笑劇)の作者である。生年は正確には分からず、紀元前46年の競演で彼が語ったとマクロビウスが伝える「二度の三十年を生きたあとで」という叫びから、紀元前106年か105年頃と推定されている。皮肉に富んだ才気の持ち主で、自らの楽しみのために書いたようだとされる。
ラベリウスは、共和政末期のラテン文学にミムスを導入した人々の中心的な存在だった。ミムスは先行するアテッラ劇のあとを継ぎ、より書き込まれた台本と多様な登場人物をもちながら、辛辣な冗談を好む点では変わらない。作品はすべて失われ、題名と、マクロビウスらが引く約150行の断片が残るだけである。題名からは、縮絨工、紡ぎ女、綱作り、塩商人、染物師、漁師、遊女、鳥占い師といった庶民の職業や人物を舞台に載せたことがうかがえる。作風はルキリウスに近く、攻撃的な精神と粗い言葉づかいをもち、洗練された学識ある同時代の文人たちには格別の評価を受けなかった。アウルス・ゲッリウスは新語の造りすぎを非難し、ホラティウスは条件付きの称賛で語った。ただしラベリウス自身は学識と教養のある人物だったらしい。
彼を有名にしたのは、紀元前46年の逸話である。カエサルは、ラベリウスに自作のミムスを自ら演じ、役者のプブリリウス・シュルスと公開の競演をするよう命じた。騎士の身分の者が舞台に立てば身分を失う。ラベリウスは、六十歳にして役者に身を落とされる屈辱を嘆く威厳ある口上を述べた。さらに、鞭打たれるシリア人に扮して、独裁官への鋭い当てこすりを織り込み、「人に恐れさせる者は、自らも多くの人を恐れねばならぬ」と、カエサルの没落を予告するかのような言葉を放った。その日のうちには、「第一の座を永久に保つ者はない。頂に登りつめれば、その座は苦しく、転落は速い」という趣旨の詩句も加えたという。
カエサルは勝利の棕櫚をシュルスに与えたが、ラベリウスには騎士の印である金の指輪と50万セステルティウスを与え、失った騎士の身分に戻した。ラベリウスは劇場の騎士席に戻り、通りかかったキケロから皮肉を言われたが、キケロがポンペイウスからカエサルへと政治的に揺れたことをほのめかして切り返した。没年は紀元前43年とされる。
同じ年に亡くなった人物
- ガイウス・カッシウス・ロンギヌス (紀元前42年没)
- マルクス・ユニウス・ブルトゥス (紀元前42年没)
- アンティパトロス (紀元前42)
- セルウィウス・スルピキウス・ガルバ (紀元前54年法務官) (紀元前 42年)
同じ地域に関係する人物
- イグナチオ・デ・ロヨラ (1556年没)
- アナスタシウス2世 (ローマ教皇) (498年没)
- クィントゥス・ファビウス・マクシムス (紀元前45年の補充執政官) (紀元前45年没)
- ステファノ・マデルノ (1636年没)
- ヨハネス15世 (ローマ教皇) (996年没)