HISTORICAL PERSON · 1941年没

ゾーヤ・コスモデミヤンスカヤ

独ソ戦初期に活動したソビエト連邦の女性パルチザン。ドイツ軍に捕まり絞首刑に処せられたとされ、死後に女性初のソ連邦英雄となった。

生涯
1941年没
死亡地
ロシア連邦(モスクワ州 / Petrischevo)
出生地
ロシア連邦(Osino-Gai)
出典
世界地図
ロシア連邦(モスクワ州)

伝記

ゾーヤ・アナートリエヴナ・コスモデミヤンスカヤは、1923年9月13日に生まれた、独ソ戦初期に活動したソビエト連邦の女性パルチザンである。タンボフ県のオシノ・ガイ村の出身で、村名は「ポプラの林」を意味するという。コスモデミヤンスキーという姓は、聖人コスマスとダミアヌスの名を合わせて作られたもので、一族は代々ロシア正教会の司祭を務めた。父アナトーリーは神学校に学んだが卒業せず、のち図書館員として働き、母リュボフィは学校の教師だった。祖父は1918年に殺害されたとされ、1929年に一家は迫害を恐れてシベリアへ移り、1930年にモスクワへ転居した。ゾーヤは9年制学校を卒業し、1930年代の末にコムソモールに加入した。弟のアレクサンドルは戦車の指揮官を務め、1945年4月に東プロイセンで戦死して、姉と同じく死後ソ連邦英雄の称号を授与された。

独ソ戦が勃発すると、1941年10月に、まだモスクワの学生だったゾーヤは、コムソモールを通して前線行きを志願した。反対する母には、敵がこれほど近くにいるときに何ができるのか、敵がここへ来たら生きてはいけない、と答えたと伝えられる。モジャイスク方面で活動するパルチザン支隊に配属され、2度、敵の後方に派遣された。支隊の任務は、道路への地雷の敷設やドイツ軍の補給所の破壊、進撃する敵に対する焦土作戦の実施だった。志願者は、入隊の時点で、その95パーセントが殺されるだろうと警告されていた。捕まれば拷問で苦しみながら死ぬだろうとも告げられ、全員が任務の危険を理解していた。10月に支隊に加わった千人のうち、戦争を生き延びたのは半数だったという。

1941年11月末、ナロ・フォミンスキー地区のオブホヴォ村付近で前線を通過し、ペトリシチェヴォ村へ向かった。11月17日付の最高司令部の命令は、敵が宿営する十の集落を5日から7日以内に焼き払うことを求めていた。ゾーヤのグループは、この戦闘任務の一部を果たし、三軒の家に火を放った。そのうちの一軒には前線へ向かうドイツ兵が泊まっており、車両も壊し、馬も殺したという。公式の説明によれば、その後ドイツ軍が支配するこの村でドイツ兵に捕まり、拷問を受けたのち、村の広場で絞首刑に処せられたとされる。18歳だった。処刑の様子は、ドイツ側によって多くの写真に撮られた。最後の言葉は「同志スターリン、万歳!」だったとも主張されている。

1942年2月16日、ソ連当局は彼女に、女性として初めてソ連邦英雄の称号を授与し、大規模な宣伝を展開した。モスクワのノヴォデヴィチ墓地に埋葬され、ペトリシチェヴォ村付近の通りと地下鉄の駅には記念碑が建てられ、通った学校や故郷の学校には記念館が開設された。多くの都市の通り、学校、船舶、小惑星にもその名が付けられた。一方で、別の説も存在する。村で絞首刑に処せられたのが彼女だったのかは確定しておらず、現地住民の記憶では、彼女を捕まえたのはドイツ兵ではなく、家を焼かれた村の住民だったという。彼女が捕まった村にはドイツ兵がいなかったため、別の村に連れ去られたともされる。公式には1941年11月29日に没したとされる。2021年には、その生涯を題材にしたロシア映画も作られた。

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