HISTORICAL PERSON · 1941年没

ポール・サバティエ

フランスの化学者。ニッケルを触媒に使うと炭素化合物に容易に水素を付加できることを発見し、魚油などの硬化油の製造を可能にした。

生涯
1941年没
死亡地
フランス共和国(オート=ガロンヌ県 / トゥールーズ)
出生地
フランス共和国(カルカソンヌ)
出典
世界地図
フランス共和国(オート=ガロンヌ県)

伝記

ポール・サバティエは、1854年11月5日、フランスのカルカソンヌに生まれた化学者である。カルカソンヌの高校で数年学んだのち、中等教育の一部をトゥールーズで受けた。二年間の受験準備課程を経て、20歳で理工科学校と高等師範学校の両方に合格し、後者を選んだ。1877年に教授資格試験に合格し、高等師範学校を卒業している。1880年にはコレージュ・ド・フランスに移り、マルスラン・ベルトロの学生兼助手として研究を行った。同年、硫黄と金属硫酸塩などの熱化学の研究により、博士号を得た。論文の題は「硫化物の熱的研究」であった。

その後、ボルドー大学で1882年まで物理学の講義を受け持ち、同年にトゥールーズ大学の同じような職を受け入れた。翌年には化学の講義を任され、1884年に一般化学講座の正教授に選ばれ、1930年の退職までその地位にあった。トゥールーズに移ってからは、硫化物、塩化物、クロム酸塩や銅化合物の研究を進め、窒素酸化物やニトロソジスルホン酸とその塩の研究から、分配係数と吸収スペクトルの基礎研究も行った。1905年にはトゥールーズ大学理学部の学部長となり、1929年までその職にあり、退職後も亡くなるまで教え続けた。数学者スティルチェスらとともに、『トゥールーズ大学理学部紀要』を創刊し、またトゥールーズ化学研究所を創設した。この研究所は、のちに国立高等化学学校となった。

やがて触媒の現象に関心を移し、特に水素化のための触媒を探した。協力者のジャン=バティスト・サンドランス神父とともに、サバティエのニッケルと呼ばれる、最初期の触媒の一つを作り上げた。1897年、アメリカの化学者ジェームズ・ボイスの成果に基づき、微量のニッケルを触媒に使うと、アルケンなどの炭素化合物の分子に容易に水素を付加できることを発見した。これにより水素化の工業利用が大いに容易になり、魚油などを固形の硬化油にすることが可能になった。二酸化炭素と水素を高温高圧でニッケル触媒の下で反応させてメタンを得る反応は、サバティエ反応と呼ばれる。この反応は、国際宇宙ステーションで船内に必要な水を作るために使われている。

微細な金属粒子を用いる有機化合物の水素化法の開発により、1912年にヴィクトル・グリニャールとともにノーベル化学賞を受賞した。主な著作に1913年の『有機化学における触媒』がある。1918年に王立協会の外国人会員に選ばれ、1926年にはアルバート・メダルを受けた。ほかにも1897年にラカーズ賞、1905年にジェッケル賞、1915年にデービー・メダル、1933年にフランクリン・メダルを受けている。フランス科学アカデミーは、トゥールーズを離れたがらない本人を会員にするため、規約を改めて、非居住会員として迎えた。レジオン・ドヌール勲章は1922年にコマンドゥール、1931年にグラン・トフィシエを受けている。1923年にローマのリンチェイ・アカデミー、1928年にアイルランド王立アカデミー、1929年にスウェーデン王立科学アカデミーの会員にもなっている。生涯に4度結婚した。1941年8月14日にトゥールーズで死去し、カルカソンヌの墓地に葬られた。トゥールーズの大学や、カルカソンヌの高校に、その名が冠されている。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物