HISTORICAL PERSON · 1941年没

エマーヌエール・ラスカー

9回の国際大会優勝の後、1894年にチェスの世界選手権を獲得したドイツの数学者。対戦相手のスタイルを研究し、心理面を重視した指し方で知られる。

生涯
1941年没
死亡地
アメリカ合衆国(ニューヨーク州 / ニューヨーク)
出生地
ポーランド共和国(バルリネク)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ニューヨーク州)

伝記

エマーヌエール・ラスカーは、1868年12月24日、当時プロイセン王国領だったベルリーンヒェン(現在のポーランド領)に生まれたユダヤ系ドイツ人の数学者、チェスプレーヤーである。11歳のとき数学を学ぶためにベルリンへ送られ、十歳ほど年上の兄ベルトホルトの家で暮らし、兄にチェスを教わった。収入を補うために、カフェ・カイザーホーフなどでチェスやカードゲームを小額の賭けで指した。哲学と数学を学び、のちにエアランゲン大学で、ヒルベルトの指導のもと、収束の限界にある級数を論じた論文で博士号を得た。論文は1901年に雑誌に掲載されている。

最初の大きな成果は1889年で、カフェ・カイザーホーフが主催する冬の競技会と、ブレスラウのドイツチェス連盟大会の二級の部で優勝した。同じ年のアムステルダムの大会では2位に入り、すでに名のあるガンスベルクやメイソンの前に出た。1890年にグラーツで3位となり、ベルリンの大会では兄と首位を分け合った。1892年の春にはロンドンで二つの大会に勝ち、より難しい二つ目では一敗もしなかった。1893年のニューヨークの大会では13試合すべてに勝った。重要な大会で完全な成績を挙げた例は、チェスの歴史でもまれである。個人の対戦でも、1889年から1893年にかけて、バルデレーベン、ミーゼス、バード、ブラックバーンらに勝った。

1894年、ラスカーは世界王者ヴィルヘルム・シュタイニッツとタイトルを争い、10勝4分5敗で破って第2代世界王者となった。賭け金は当初、各自5,000ドルのはずだったが、ラスカーが金額の工面に苦労したため、シュタイニッツが何度も譲歩し、最終的に2,000ドルずつになった。以後27年にわたって王者の座を守り、史上最長の保持となった。ロンドン(1899年)、パリ(1900年)、サンクトペテルブルク(1896年・1914年)、ニューヨーク(1924年)などで優勝している。

ラスカーは心理学の要素をチェスに持ち込み、対戦相手のスタイルを綿密に研究して臨んだ。時には理論上は劣る手をあえて選び、相手を居心地悪くさせたという。1914年のサンクトペテルブルクでカパブランカと対戦した際には、どうしても勝たねばならない局面で引き分けに向かいやすい序盤を選び、相手の油断を誘って勝ったと伝えられる。彼は不利な局面からも最後まで諦めずに指したと評価されている。1921年、キューバのホセ・ラウル・カパブランカに敗れて王座を失った。その前年、ラスカーはカパブランカに譲ることを申し出ていたが、相手は盤上で奪うことを望んだとされる。

チェスの原理からベルクソンに近い生の哲学を導き、政治的な問題までチェスの考え方で解決しようと試みた。哲学者としてはアインシュタインの友人だったとされ、ブリッジに関する本も出した。著書には『チェス教本』『世界の把握』『未完成の哲学』などがある。囲碁についても、地球外に文明があって我々と同じゲームをしているなら、それは囲碁に違いないと語ったと伝えられる。

1933年、ユダヤ人としてナチスを恐れ、妻マルタ・コーンとともにドイツを離れてイギリスへ向かった。1935年にはソ連のモスクワに移り、さらに1937年にはニューヨークに移住して、1941年1月11日に同地で没した。

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