伝記
ボグドは、古代マウレタニアの西部を治めたベルベル人の王である。紀元前49年から紀元前38年まで統治したとされ、東のボッコス2世とは従兄弟とも兄弟ともいわれ、系譜ははっきりしない。兄とされるボッコスがムルーヤ川の東を、ボグドが西を受け持って王国を共同で治めたという。妻はエウノエで、大西洋岸を遠征して熱帯にまで達したらしく、帰還した際には巨大な葦やアスパラガスを妻に贈ったと伝えられる。
ボグドとボッコスはともに、アフリカでポンペイウスの支持者と戦うユリウス・カエサルを支えた(紀元前49年から紀元前45年)。カエサルの支持を弱めようとして、ポンペイウスの子グナエウスがボグドの領土を攻めたが、撃退された。これはかえってボグドを本格的な行動に駆り立てた。カエサルはプブリウス・シッティウスを送ってボグドを助けさせ、二人はヌミディア王ユバ1世の領土を攻めた。ユバの軍はポンペイウス派に合流しようと進んでいたが、シッティウスとボグドがキルタの町を奪ったため、ユバは軍を連れて引き返し、ポンペイウス派を見捨てることになった。
紀元前46年、タプススの戦いでカエサルがメテルス・スキピオ率いるポンペイウス派を破ると、ユバから奪ったヌミディアの大部分はボッコスの支配に渡った。ボグドはムンダの戦いにも加わり、ポンペイウス派の軍の背後を衝く重要な攻撃を行った。これが相手の混乱を招き、やがて軍勢は崩れた。
その後、ヒスパニア・ウルテリオルの総督クィントゥス・カッシウス・ロンギヌスの下で反乱が起こり、スペインでは人気のなかったカエサルの体制が脅かされた。カッシウスが支援を求め、ボグドはこれに応じた。しかしカエサルの命を受けたレピドゥスが調停に入り、反乱側と合意を結んで秩序を回復させた。ボグドの補助兵による奇襲は破られ、カッシウスは辞任に追い込まれた。ボグドはマウレタニアへ退いた。
紀元前44年にカエサルが暗殺されると、カエサル派は分裂し、マウレタニアの二人の統治者も別々の側についた。ボグドはマルクス・アントニウスを支持し、ボッコスはオクタウィアヌス、のちの皇帝アウグストゥスの側に立った。紀元前38年ごろ、ボグドがスペインで戦っている間にボッコスがその領土を奪い、ボグドは東のアントニウスのもとへ逃れた。ボッコスはマウレタニアの単独の支配者となり、オクタウィアヌスにそれを認められた。ボグドはアントニウスのアクティウムの戦いに向かう作戦のさなか、メトネの攻囲戦で戦死した。のちにボッコス2世は紀元前33年にマウレタニアをオクタウィアヌスに遺贈した。なお、妻エウノエはカエサルの愛人の一人といわれた。
同じ年に亡くなった人物
- マルクス・アントニウス (紀元前30年没)
- プトレマイオス15世 (紀元前30年没)
- プブリウス・カニディウス・クラッスス (紀元前30年没)
- クレオパトラ7世 (紀元前30年没)
- ウァロ・アタキヌス (紀元前30年代没)
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