伝記
コルネリウス・ネポスは、共和政ローマの伝記作家である。生年は紀元前100年頃とも110年頃とも伝えられて一致せず、没年は紀元前25年頃とされる。大プリニウスは彼を「パドゥス川、すなわち現在のポー川のほとりに住む人」と呼んでおり、この記述から、北イタリアのティキヌム、今日のパヴィアのあたりの出身と推定されている。別の説では、現在のヴェローナの近く、属州ガリア・キサルピナの村ホスティリアで生まれたともいう。いずれにせよ属州ガリア・キサルピナの出身であることは、詩人アウソニウスの証言でも確かめられている。
生涯の大部分をローマで過ごし、政治には加わらず、もっぱら文筆に打ち込んでいたものと推測される。交友関係は広く、富豪のティトゥス・ポンポニウス・アッティクスと親しかったほか、キケロや詩人カトゥルスとも親交があった。カトゥルスは自作の詩集を彼に献呈している。エウセビオスは、彼をアウグストゥスの治世の第四年に位置づけており、この頃に文筆で評価を集め始めたと考えられている。大プリニウスは、彼がアウグストゥスの治世に没したと記している。
作家としては多産だったが、今日まで伝わるのは『著名な人物について』と、ごくわずかの断片だけである。『著名な人物について』は、ローマ人と外国人の著名人を対比させて並べた全16巻の伝記集で、王、将軍、法律家、弁論家、詩人、歴史家、哲学者などを扱っていたとされる。書かれた年代は紀元前35年から34年とされる。現存するのは、そのうち将軍たちを扱った『外国の名将たち』とされる巻で、ミルティアデス、テミストクレス、アルキビアデス、エパメイノンダス、ハンニバルなど、ギリシャやカルタゴの将軍と王を取り上げている。ほかに大カトーとアッティクスの伝記も伝わり、後者はネポス自身がアッティクスの同時代人であり友人であったと語っている。日本ではこの現存部分を『英雄伝』と称している。
この伝記集は、テオドシウス1世の時代に文法家アエミリウス・プロブスの作として献呈された。長くプロブスの作とされていたが、のちにペトルス・コルネルスが、キケロの書簡集の写本の中に、「コルネリウス・ネポスの最後の巻より」という見出しを持つカトーとアッティクスの伝記を見つけ、他の伝記に加えた。1569年のランビヌスの校訂版は、文体の面から全体がネポス一人の作であると論じた。近年の研究もこれに同意しつつ、プロブスが韻文の献辞を付けるときに要約した可能性はあるにせよ、著者はネポスであると考えられている。平易なラテン語で書かれているため、イギリスでは初心者の教育に用いられた。だが、資料を使いこなす力に乏しく、歴史書としては価値が低いと評されている。
失われた作品には、世界史の概略を語った『年代記』(三巻ほどだったと考えられ、カトゥルスが献辞の中でこれに触れているようだ)、著名人の言行や逸話を集めた『範例集』、キケロの生涯を扱った書、『カトー伝』、アッティクスの依頼で書かれた長い『カトー伝』などがあり、同時代人や後世の著者の言及から存在が推測される。キケロにあてた書簡や、詩作もあったという。
同じ年に亡くなった人物
- ガイウス・コルネリウス・ガッルス (紀元前25)
- マルクス・ウァレリウス・メッサッラ・ルフス (紀元前 25年)
同じ地域に関係する人物
- シルウェステル1世 (ローマ教皇) (335年没)
- ボニファティウス1世 (ローマ教皇) (422年没)
- インゲボルク・バッハマン (1973年没)
- ヨゼフ・ミスリヴェチェク (1781年没)
- Pietro Palazzini (2000年没)