伝記
ガイウス・キルニウス・マエケナスは、共和政ローマ期からユリウス=クラウディウス朝期にかけて活躍した政治家である。紀元前70年4月13日に生まれ、紀元前8年10月に没した。アウグストゥス、すなわちオクタウィアヌスを外交・政治の面で補佐し、元首政の確立に大きく貢献したが、元老院議員にはならず、騎士身分にとどまって公的な栄誉や役職を得ることはなかった。また、アウグストゥス時代に現れた新世代の詩人・文学者の最大の支援者として知られ、皇帝の文化面での補佐役でもあった。
マエケナスはエトルリア人の系統で、自らが属するキルニウス氏族の家系図を取り寄せるほど、その血統を誇りにしていた。この氏族は紀元前4世紀に、アッレティウム、現在のアレッツォでの影響力と莫大な富によって市民の嫉妬を買っていたという。ホラティウスは最初の頌歌集の巻頭で、マエケナスを「王族の子孫」と呼んだ。財産には先祖からの相続分もあったと考えられるが、その大部分はアウグストゥスとの結びつきによって築いたもので、内戦での勝利に貢献した報酬として莫大な財を得たと伝わる。プロペルティウスによれば、マエケナスはムティナ、ピリッポイ、ペルシアの各戦闘にオクタウィアヌス側で関わったという。
紀元前40年には、ブルンディシウムでアントニウス陣営との緊張を和らげるための交渉に当たり、アントニウスとオクタウィアヌスの姉オクタウィアの婚礼などを取り決めた協約を成立させた。紀元前38年、オクタウィアヌスがセクストゥス・ポンペイウスとの戦いに敗れると、援助を求める使節としてアントニウスのもとへ派遣された。翌年のタレントゥムでの会談でも折衝に当たり、難航しつつも、ポンペイウスとの戦いに必要な艦隊の増援を得る合意に達した。戦いが再開されると、オクタウィアヌスの不在で混乱したローマに戻って治安を回復し、以後もイタリアにおける代理人として活動した。アクティウムの海戦の間は、アウグストゥスの代理人としてローマ市を統治し、レピドゥスの息子による陰謀を秘密裏に鎮圧して秩序を回復した。
内乱の後は、紀元前22年のムレナの陰謀事件が発覚した際、ムレナの姉であった妻テレンティアに内容を漏らしたことで、アウグストゥスの不興を買ったとされる。ただしカッシウス・ディオは、テレンティアとアウグストゥスが男女の仲にあったことが原因だと伝える。一方で、アウグストゥスが病気の際にマエケナスの邸宅で療養するなど、親密な関係は保たれたとされる。紀元前23年にはアウグストゥスの許可を得て隠棲し、以後は国政に関与しなかった。紀元前8年、自らの財産をすべてアウグストゥスに相続させると言い残して死去した。ウェッレイウス・パテルクルスは、緊急の危機への不断の警戒と先を読む力を持ちながら、仕事を楽しみ、過度に緊張しない性格が最大の特色だと評した。
文化の保護者としては、ウェルギリウスを援助し、ウェルギリウスに紹介されたホラティウスにもサビニ山地の私有地と同じほどの金銭的支援を与えた。プロペルティウスやウァリウス・ルフスらも支援を受けている。その支援は、単なる愛好家ではなく、新しい発想を持つ才能ある人物に向けられたという。自身も散文と詩歌を書き、今日まで約20篇の断片が残るが、その文体は皇帝や後のセネカらの物笑いとなった。速記の発明者だったとも伝わる。彼の名は「裕福な支援者」を意味する語となり、文化・芸術の支援を指す「メセナ」の語源にもなった。
同じ年に亡くなった人物
- ホラティウス (紀元前8年没)
同じ地域に関係する人物
- ルキウス・カエキリウス・メテッルス・デンテル (紀元前283年没)
- ルカ・パチョーリ (1517年没)
- リュック・フェラーリ (2005年没)
- ロベルト・アサジオリ (1974年没)
- バルトロメオ・デッラ・ガッタ (1502年没)