HISTORICAL PERSON · 1943年没

ビアトリクス・ポター

ピーターラビットの生みの親として知られるイギリスの絵本作家。『ピーターラビットのおはなし』を出版し、のち湖水地方で農場経営と自然保護に努めた。

生涯
1943年没
死亡地
イギリス連邦(カンブリア / Near Sawrey)
出生地
イギリス連邦(ウエスト・ブロンプトン)
出典
世界地図
イギリス連邦(カンブリア)

伝記

ヘレン・ビアトリクス・ポターは、1866年7月28日、ロンドンのボルトン・ガーデンズ2番地で、父ルパートと母ヘレンの長女として生まれた。ピーターラビットの生みの親として知られるイギリスの絵本作家である。産業革命でイギリスが世界の工場と呼ばれた時代に台頭した上位中産階級の裕福な家庭で、父方の祖父エドマンドは世界最大のキャラコ捺染工場を経営し、国会議員にもなった。母方の家系も木綿で財を成していた。父は法廷弁護士の資格を持ちながら趣味に明け暮れ、画家ミレーと親しかった。ミレーは少女のころのビアトリクスの絵を見て、あなたと私の息子ジョンには観察力があると評した。両親はキリストの神性を信じないユニテリアン派で、クリスマスは寂しいものだったらしく、他家をうらやむ描写が日記に残る。

教育は乳母と家庭教師によって行われ、生涯、学校に通うことはなかった。親が認めない子とは遊べず、弟バートラムが生まれる5歳まで遊び相手がいなかった。後年は学校に行かなくてよかった、行っていれば独自性が潰されただろうと述べている。少女時代はペットを観察してスケッチするか、ほかの絵を描くことが多かった。15歳から31歳まで独自の暗号を使って日記を書き続け、日々の出来事が細かく記されている。この日記は死後10年以上解読されず、1958年にレズリー・リンダーが解読に成功した。1882年に避暑地を探して湖水地方のウィンダミア湖畔の屋敷を借り、ここで牧師のローンズリーに出会った。ローンズリーは自然の破壊に危機感を持ち、のちナショナル・トラストとなる運動を準備していた。ポターは彼の語る自然保護の理想に賛同し、父も1895年に設立されたナショナル・トラストの第1号終身会員となった。

幼いころから動物を飼い、スケッチし、時には死んだ動物を解剖して骨格を観察した。とくに引かれたのは菌類、キノコである。精緻なキノコのスケッチを描き続け、叔父で化学者のヘンリー・ロスコーの計らいで、キュー王立植物園で自由に観察できるようになった。胞子の培養に成功すると、専門家たちの態度は冷たくなった。1897年、胞子発生に関する論文をロンドン・リンネ学会に提出したが、女性が学会に参加することは認められず、論文は副園長が代理で読み上げた。1997年4月、リンネ学会は性差別があったことを公式に謝罪した。

ポターが自分の作品で初めて収入を得たのは1890年で、叔父の助言でベルギーウサギをモデルに描いた6枚のクリスマスカードを出版社に持ち込み、その場で6ポンドを支払われた。最初の本『ピーターラビットのおはなし』は、元家庭教師アニー・ムーアの子どもたちに送った絵手紙がきっかけで、1893年9月4日にはアニーの5歳の男の子ノエルにウサギの話を送っている。出版社6社に断られ、自費出版を決め、1901年12月16日に初版250部が完成した。1、2週間で売り切れ、購入者の一人はコナン・ドイルだった。フレデリック・ウォーン社が出版を引き受け、1902年10月2日に初版8,000部が発行され、予約で売り切れ、1903年末までに5万部を売り上げた。

39歳で婚約したが、1か月後に婚約者が亡くなった。念願の農場を湖水地方に手に入れ、47歳で結婚して、創作は減り、農場の経営と自然保護に努めた。湖水地方の羊ハードウィック種の保護と育成に尽くし、品評会でも多くの賞を得た。遺言により4000エーカー以上の土地をナショナル・トラストに寄付した。1943年12月22日に死去し、遺灰はヒル・トップに散骨された。

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