HISTORICAL PERSON · 1944年没

チャールズ・バークラ

英国の物理学者。特性X線を発見した功績により、1917年にノーベル物理学賞を受賞した。エディンバラ大学の教授を務めた。

生涯
1944年没
死亡地
イギリス連邦(エディンバラ)
出生地
イギリス連邦(ウィドネス)
出典
世界地図
イギリス連邦(エディンバラ)

伝記

チャールズ・グローヴァー・バークラは、1877年6月7日、イングランドのチェシャー州ウィドゥネスに生まれた物理学者である。父ジョン・マーティン・バークラはアトラス化学会社の秘書役を務め、母サラ・グローヴァーは時計職人の娘であった。リヴァプール・インスティテュートで学び、郡議会とビビーの奨学金を得てリヴァプール大学に入った。はじめは数学を学んだが、のちにオリヴァー・ロッジのもとで物理学を専攻し、ロッジが病気で不在の間は代わりに講義をしたこともあった。1899年には、1851年万国博覧会委員会の研究奨学金を得てケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入り、キャヴェンディッシュ研究所で、電子の発見者ジョゼフ・ジョン・トムソンのもとで研究した。最初の2年間は、太さや材質の異なる導線に沿って進む電磁波の速度を調べた。

ケンブリッジに1年半いたころ、音楽への愛からキングズ・カレッジに移り、礼拝堂の聖歌隊で歌った。彼の声は非常に美しく、独唱には多くの聴衆が集まったという。1903年に文学士、1907年に文学修士の学位を得て、同年にメアリー・エスター・コーウェルと結婚し、2人の息子と1人の娘をもうけた。1903年にはまた、X線を当てた気体から出る二次X線を調べ、新しい実験装置を工夫した。これは、X線が電磁波の一種かどうかという問題に関わる研究であった。彼はこの装置で、X線が偏光することを示し、X線が電磁波であることを実証した。その成果は1904年3月に雑誌『ネイチャー』に短く発表され、1905年に詳しい報告が出た。

1909年には、C・A・サドラーと、元素に電子線を当てると元素に固有の波長をもつ特性X線が出ることを発見した。発見当時は、特性X線の物理的な意義が必ずしも明確でなかったが、1913年にヘンリー・モーズリーが、特性X線の波長と原子の原子番号の関係を明らかにした。モーズリーは第一次世界大戦で戦死したため、ノーベル賞を受けることができなかった。同じ1909年にはロンドン大学キングズ・カレッジの物理学の教授となった。各大学で研究したのち、1913年にエディンバラ大学の自然哲学の教授となり、終生そこにとどまった。X線の散乱の法則やX線分光学、X線が物質を通過する際の原理、特に二次X線の励起の原理の研究で大きな進歩を遂げた。

1912年に王立協会フェローに選ばれ、1914年にはエディンバラ王立協会の会員となり、1916年にベーカリアン・メダル、1917年にヒューズ・メダルを受けた。同じ1917年、元素の特性X線の発見により、ノーベル物理学賞を受賞した。ほかに、X線がけい光X線に似た働きをするというJ現象を仮説として提唱したが、他の科学者はコンプトン散乱などの既知の効果と異なる機構だとは納得せず、この説は受け入れられなかった。1922年から1938年まではエディンバラ南西部のハーミテージ・オブ・ブレイドに住んだ。1944年10月23日、エディンバラの自宅で亡くなった。月のクレーターのバークラは彼の名にちなみ、リヴァプール大学の物理学教室には、彼の名を冠した講堂がある。

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