HISTORICAL PERSON · 1322年没

ベアトリチェ・シフィドニツカ

神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世の最初の妃で、ヤヴォル=シフィドニツァ公ボルコ1世の次女。1308年に結婚して6人の子を産み、ドイツ王妃を称したが、夫の皇帝戴冠の6年前に没した。

生涯
1322年没
死亡地
ドイツ連邦共和国(バイエルン州 / ミュンヘン)
出生地
—
出典
世界地図
ドイツ連邦共和国(バイエルン州)

伝記

ベアトリチェ・シフィドニツカは、1290年に生まれ、1322年8月に没した女性で、のちに神聖ローマ皇帝となるルートヴィヒ4世の最初の妃である。ポーランド語の名はベアトリチェ・シフィドニツカだが、ドイツではベアトリクス・フォン・シュヴァイトニツと呼ばれた。ピャスト家のシレジア系の一族に属し、ヤヴォル=シフィドニツァ公ボルコ1世の次女として生まれた。母はブランデンブルク=ザルツヴェデル辺境伯オットー5世の娘ベアトリクスである。両親には10人の子があり、ベアトリチェは第3子にあたる。弟にシフィドニツァ公ベルナルト、ヤヴォル公ヘンリク1世、ジェンビツェ公ボルコ2世がおり、姉ユディタは下バイエルン公シュテファン1世の妻となった。

1301年に父が若くして亡くなると、ベアトリチェと兄弟姉妹は、母方の叔父であるブランデンブルク=ザルツヴェデル辺境伯ヘルマンの後見のもとで育てられた。父の死のあとには妹アンナも生まれている。1305年に弟のベルナルトが成人して領国を治めはじめると、ベアトリチェたちの後見人の立場はベルナルトに移った。

ベルナルトはバイエルンと同盟を結ぶことを望み、姉のベアトリチェと上バイエルン公ルートヴィヒ4世との縁談を進めた。結婚式は1308年10月に行われ、日は4日とも14日ともいわれる。母は父の死から7年ほどのちにビトム公ヴワディスワフと再婚しており、この再婚で生まれたコジュレ公カジミェシュとエウフェミアが、ベアトリチェの異父弟妹にあたる。ベアトリチェは14年間の結婚生活のうちに6人の子を産んだが、成人したのは3人だけだった。1313年6月以後に長女マティルデが生まれ、1314年には死産があり、1315年にルートヴィヒ5世、1316年ごろにアンナ、1318年ごろにアグネス、1319年にシュテファン2世が生まれている。アンナは1319年に亡くなった。

夫のルートヴィヒ4世は1314年10月20日にドイツ王に選ばれたが、反対する陣営は前日の10月19日にオーストリア公フリードリヒ(美王)をドイツ王と宣言していた。二人の王の争いはベアトリチェの存命中に解決へ向かうことがなく、ベアトリチェのドイツ王妃の称号は、フリードリヒの妻イサベル・デ・アラゴンのそれと並び立つ形になった。ベアトリチェは1322年8月、ミュンヘンで没した。没日は25日とも24日ともいわれる。

その2年後の1324年、ルートヴィヒ4世はエノー女伯マルガレーテと再婚した。夫が神聖ローマ皇帝として戴冠したのは1328年で、ベアトリチェの死から6年後のことである。成人した3人の子のうち、マティルデは1329年にマイセン辺境伯フリードリヒ2世と結婚し、1346年に没した。ルートヴィヒ5世は上バイエルン公、ブランデンブルク辺境伯、チロル伯となり、1361年に没した。シュテファン2世は下バイエルン公、のちに上バイエルン公となり、1375年に没した。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物