伝記
ルイ1世は、1272年に生まれ、1322年7月22日にパリで没したヌヴェール伯である。フランドル伯ロベール3世と、ヌヴェール女伯ヨランドとのあいだの子で、祖父はフランドル伯ギー・ド・ダンピエールにあたる。父ロベールは先妻ブランシュ・ダンジューに先立たれたのち、1272年に、フランス王ルイ9世の子ジャン・トリスタンの未亡人だったヨランドと再婚したとされる。ロベールには先妻とのあいだにシャルルという子がいたが、1277年ごろに幼くして亡くなっており、ルイは母ヨランドの子としては長男であった。
1280年、ルイは母の死にともなってヌヴェール伯位を継いだ。1290年12月にはルテル伯ユーグ4世の娘で、ルテル女伯のジャンヌと結婚し、妻の権利によってルテル伯領を共同で治めることになった。二人のあいだには、1295年ごろに生まれた娘ジャンヌと、1304年ごろに生まれた息子ルイの二人の子があった。
この時期、ルイは祖父ギー、のちには父ロベールのフランス王国に対抗する政策を支えた。1311年、フランス王フィリップ4世(美男王)はルイのヌヴェールとルテルの二つの伯領を取り上げ、本人を投獄した。ルイは脱出し、王から逃れるため、神聖ローマ帝国に属するフランドル伯領へ身を寄せたという。フィリップ4世の死後、ロベールが新王ルイ10世に臣従の礼をとらなかったことから、1315年にフランスとの戦争が再びはじまった。ルイ10世はフランドルの占領を試みたが、軍は秋のぬかるみにはまり込み、たいした成果もなく引き上げた。ルイもフランドルを守るために駆けつけている。
和平は、ルイ10世の跡を継いだフィリップ5世とのあいだで1320年に結ばれた。ロベールはリール、ドゥエー、オルシーの地区をフランスに譲り、フィリップ5世に臣従すると約束したが、この約束は守られなかった。あわせて、ロベールの孫ルイ・ド・クレシーと、フィリップ5世の娘マルグリットとの婚約も取り決められた。ルイ1世はこのころも投獄された状態にあったとされる。やがて釈放されてパリへ向かったが、そこで病に倒れ、まもなく亡くなった。獄中で何かを飲まされたことが死を早めたという噂があり、父ロベールでさえ扱いに苦労する人物とみられていたことも、その背景にあったといわれる。
ルイはロベールの死の2か月前にあたる1322年7月に没したため、フランドル伯位を継ぐことはなかった。ロベールは同年9月に亡くなり、フランドル伯位は孫のルイ・ド・クレシーが継いだ。娘ジャンヌは1329年にモンフォール伯ジャン・ド・ブルターニュと結婚した。ルイ・ド・クレシーは1346年まで伯位にあり、フランドル伯のほか、ヌヴェール伯とルテル伯の位も受け継いだ。
同じ年に亡くなった人物
- ゲオルギ2世テルテル (1322年没)
- マリー・ド・リュジニャン (アラゴン王妃) (1322年(推定))
- Pourya-ye Vali (1322年)
- 趙孟頫 (1322年没)
- ベアトリチェ・シフィドニツカ (1322年没)
同じ地域に関係する人物
- アンヌ・ヴィアゼムスキー (2017年没)
- セグンド・デ・チョーモン (1929年没)
- キリル・ウラジーミロヴィチ (1938年没)
- テオデュール・アルマンド・リボー (1916年没)
- アドリアン・ルネ・フランシェ (1900年没)