伝記
ニコーラ・オルシーニは、イタリア人のイピロス専制公国君主で、ケファロニア宮廷伯でもあった人物である。ニコロ・オルシーニ、ギリシア名ニコラオスとも呼ばれる。生まれた年は分かっていない。
オルシーニ家はもとイタリアの名門貴族で、中世ローマの政界を主導した家門の一つである。一族のマイオ・オルシーニは、第4回十字軍の直前に冒険者的な一団を率いてアドリア海に出航し、東ローマ帝国領だったケファロニア島、イタカ島、ザキンソス島などを占拠して、自らの領土とした。やがて1208年に、十字軍を主導したヴェネツィア共和国の臣下として、ケファロニア宮廷伯領と呼ばれる占領地の保有を認められた。マイオは、イピロス専制公セオドロスの姉アンナを妻に迎えており、このことでオルシーニ家は潜在的なイピロス専制公国の相続人となった。この絆は、マイオの孫ジョヴァンニ1世の代にさらに強まった。ジョヴァンニは専制公ニキフォロス1世の娘マリアと結婚し、ニコーラ、ジョヴァンニ2世、グィードの3人の息子と、娘マルゲリータをもうけた。
ニコーラは1317年に父ジョヴァンニの死去に伴ってケファロニア宮廷伯領を継ぎ、母の出身地イピロスにも野心を向けた。翌1318年、叔父で当時の専制公ソマスをヨアニナで暗殺し、アルタ周辺の専制公国の南部を、たやすく手に入れた。ニコーラは、母マリアがソマスの姉妹であるという血縁に加え、ソマスの未亡人アンナ・パレオロギナを妻に迎えたことを根拠に、専制公となった。アンナは東ローマ皇帝ミハイル9世の娘である。現地の人々からの支持を固めるため、ニコーラは正教に改宗してギリシア語を使ったという。アンナが、若く指導力に欠ける夫のソマスに飽き足らなくなり、暗殺を手引きしたという説もある。アンジュー家は、この行動をあまり好意的に見なかった。ニコーラは1318年にアカイア公ジャン・ド・グラヴィーナに臣従を誓ったが、翌年にイピロスの君主としての臣従を求められると拒んだ。そのあいだに東ローマ帝国は、北部のヨアニナなどを占領した。ヨアニナは、ソマス暗殺が知れると皇帝に帰順したのである。
ニコーラが皇帝アンドロニコス2世に新しい地位の承認を求めると、1319年から1320年にかけて、ヨアニナを失ったことを認めることを条件に、専制公の称号が与えられた。一方でヴェネツィアとの同盟も探り、1320年5月に使節を送って、ヴェネツィアの宗主権を認め、ブトリントの漁場かパルガの砂糖きびの農園を譲ることを申し出たが、ヴェネツィアは東ローマ帝国の機嫌をそこねまいとして、やんわり断った。それでもこの1320年から東ローマ領を荒らしはじめ、同じ年に妻アンナが死ぬと、宮廷との関係も途切れた。1321年に東ローマの内戦が始まると、北部を取り戻す好機と見て、ヨアニナを包囲した。ヴェネツィア軍もヴァロナの港を攻めて助けたが、どちらの攻撃も東ローマの守備隊に撃退された。叔父の殺害と権力奪取から5年後の1323年、ニコーラは弟ジョヴァンニ2世に殺された。暗殺とも、短い戦いの結果ともいわれる。
同じ年に亡くなった人物
- 馬端臨 (1323年没)
- Elizabeth of Hungary, Queen of Serbia (1323年(推定))
- マリア・ドゥンゲリア (1323年没)
- シデバラ (1323年没)
- カタリーナ・フォン・エスターライヒ (1295–1323) (1323年没)
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