伝記
カタリーナ・フォン・エスターライヒは、1295年10月にウィーンで生まれ、カラブリア公カルロの妃となったハプスブルク家の王女である。ローマ王アルブレヒト1世と、エリーザベト・フォン・ケルンテンの間に生まれた7番目の子で、4番目の娘だった。父方の祖父母はローマ王ルドルフ1世とゲルトルート・フォン・ホーエンベルク、母方の祖父母はケルンテン公マインハルトとエリーザベト・フォン・バイエルンである。きょうだいには、ハンガリー王アンドラーシュ3世の妃となったアグネス、ボヘミア王となったルドルフ、ロートリンゲン公妃エリーザベト、のちにローマ王に選ばれたフリードリヒ3世、「ハプスブルクの剣」と呼ばれたレオポルト1世、アルブレヒト2世、ハインリヒ、オットーらがいた。
1308年5月1日、カタリーナが12歳のときに、父のアルブレヒト1世が暗殺された。1312年には、1月から5月の間にピエモンテ領主フィリッポ1世と婚約した。しかしフィリッポ1世は同じ年の5月に、カトリーヌ・ド・ラ・トゥール=デュ=パンと結婚したため、この婚約は解消された。ハプスブルク家はこのあと、ルクセンブルク家に接近した。カタリーナは、前年12月に妃マルグリット・フォン・ブラバントを亡くしていた皇帝ハインリヒ7世と結婚することになり、結婚式のために一行はイタリアに向かった。ところが1313年8月24日、ハインリヒ7世はブオンコンヴェントでマラリアのために死去し、結婚は取りやめとなった。
兄のフリードリヒ3世は、対イタリア政策のため、1316年にカタリーナをカラブリア公カルロと結婚させた。カルロは、ナポリ王ロベルトと、ヨランダ・ダラゴナの間の子である。このとき、カタリーナは20歳か21歳だった。この結婚からは子供が生まれなかった。7年後の1323年1月18日、カタリーナはナポリで27歳で死去し、サン・ロレンツォ・マッジョーレ聖堂に葬られた。その後、カルロはフランス王フィリップ6世の異母妹マリー・ド・ヴァロワと再婚し、二人の間にはのちのナポリ女王ジョヴァンナ1世が生まれた。
同じ年に亡くなった人物
- ニコーラ・オルシーニ (1323年没)
- Elizabeth of Hungary, Queen of Serbia (1323年(推定))
- アメデーオ5世・ディ・サヴォイア (1323年没)
- 恭帝 (宋) (1323年)
- シデバラ (1323年没)
同じ地域に関係する人物
- クレマンティーヌ・ドルレアン (1907年没)
- フェルディナント・バウアー (1826年没)
- ハインリヒ・フォン・アンゲリ (1925年没)
- フランツ・シューベルト (1828年没)
- イワン・レーゲン (1947年没)