伝記
イサベル・デ・アラゴンは、1300年から1305年ごろにバルセロナで生まれ、1330年7月12日に没した女性で、ローマ王フリードリヒ3世の王妃である。ドイツ語ではエリーザベトと呼ばれた。アラゴン王ハイメ2世と、2番目の妃ビアンカ・ディ・ナポリのあいだの娘で、三女にあたり、10人きょうだいの6番目の子である。父方の祖父母はペドロ3世とコンスタンサ・デ・ホーエンシュタウフェン、母方の祖父母はナポリ王カルロ2世とハンガリー王女マリアである。きょうだいのなかには、のちのアラゴン王アルフォンソ4世がいる。
1312年か1313年ごろ、イサベルはアルメニア王オシンと婚約した。父ハイメ2世は、アルメニアのシスにあった聖テクラの聖遺物をタラゴナ大聖堂に安置するため手に入れようとしており、その引き換えに婚約を決めたのである。しかし、カトリック諸国との結びつきが強まることを恐れたアルメニアの貴族らが反対し、結婚の交渉は成立しなかった。
イサベルは、当時オーストリア公だったハプスブルク家のフリードリヒと、1313年にバルセロナで代理人を立てて結婚したともいわれる。実際の結婚式は1315年で、5月11日に挙げられたとも、1月にユーデンブルクで挙げられたとも伝えられ、ラーヴェンスブルクで行われたとする記録もある。これ以降、オーストリアではエリーザベトと呼ばれるようになった。1314年10月、フリードリヒはヴィッテルスバッハ家のルートヴィヒ4世とともにローマ王に選ばれており、この結婚で、フリードリヒは王位への主張を強めた。イサベルは、ルートヴィヒ4世の妃ベアトリチェ・シフィドニツカと並ぶ二人のローマ王妃の一人となり、1315年の聖霊降臨祭にはバーゼルで王妃として戴冠された。1316年に長男フリードリヒ、1317年に長女エリーザベト、1318年に次女アンナが生まれたが、長男は1322年に亡くなった。
1322年のミュールドルフの戦いのあと、フリードリヒとルートヴィヒ4世は、1325年9月5日に互いを共同の王と認めることで対立を解消した。ベアトリチェは1322年に没し、1324年からは、ルートヴィヒ4世の2番目の妃マルガレーテが、イサベルと並ぶ王妃となった。1328年には次女アンナが下バイエルン公ハインリヒ15世と結婚した。だがフリードリヒは、まもなく従属的な君主となり、1330年1月13日に死去するまでオーストリアに退いた。
イサベルは晩年の6年間、目が見えなくなっていたという。夫の死からおよそ半年後の1330年7月12日に没し、ウィーンのミノリーテン教会に葬られた。その後、アンナは1336年にゲルツ伯ヨハン・ハインリヒ4世と再婚した。長女エリーザベトは同じ1336年の10月23日に、アンナは1343年に亡くなっている。
同じ年に亡くなった人物
- ロジャー・モーティマー (初代マーチ伯) (1330年没)
- ピエトロ・カヴァリーニ (1330年)
- ミハイル3世シシュマン (1330年没)
- 馬致遠 (1330年)
- ロレンツォ・マイターニ (1330年)
同じ地域に関係する人物
- レオポルト5世 (オーストリア公) (1194年没)
- エデュアルト・ディートル (1944年没)
- エルンスト (オーストリア公) (1424年没)
- カタリーナ・レナータ・フォン・エスターライヒ (1599年没)
- マリアーナ・トロク (1968年没)