伝記
ジョヴァンニ・ディ・ドゥラッツォは、ナポリ王カルロ2世と王妃マリア・ドゥンゲリアの子で、アンジュー=シチリア家の分枝であるアンジュー=ドゥラッツォ家の祖である。1294年に生まれ、ジョヴァンニ・ディ・グラヴィーナ、ジョヴァンニ・ダンジョとも呼ばれる。グラヴィーナ伯、アカイア公、ドゥラッツォ公の位についた人物である。14人の子のうち13番目、あるいは末息子とされ、兄にはハンガリー王位請求者カルロ・マルテッロ、ナポリ王ロベルト、ターラント公フィリッポ1世らがいる。
1313年9月3日にカラブリア総司令官に任じられた。1315年には、モンテカティーニの戦いで戦死した兄ピエトロのあとを継いでグラヴィーナ伯となった。
1316年にブルゴーニュのルイが亡くなり、アカイア女公マオー・ド・エノーが未亡人となった。兄フィリッポはマオーの宗主として、アカイア公国をアンジュー家の継承財産に組み入れる計画を立て、1318年、彼女を力ずくでナポリへ連れてきてジョヴァンニと結婚させた。しかしマオーは夫にアカイアの権利を譲ることを拒み、ひそかにユーグ・ド・ラ・パリスと再婚した。これは母イザベルの婚姻契約に反するとされ、フィリッポはマオーからアカイアを取り上げてジョヴァンニに与えた。結婚は、夫婦としての実がなかったとして解消され、マオーはカステル・デッローヴォに幽閉された。マオーとの間に子はなかった。アカイア公位がジョヴァンニへ与えられたのは1322年とも、1318年ともされる。1321年11月14日、彼はペリゴール伯エリー9世タレーランとフォワ家のブリュニサンドの娘であるアニェスと再婚した。
1325年、中央モレアで進む東ローマ帝国の勢力に対する遅れた反撃として、ジョヴァンニはアッチャイウォーリ家の資金を得てアカイアへ遠征した。ケファロニアとザキントスでは自らの権威を回復したが、スコルタを東ローマ帝国の支配から取り戻すことはできなかった。1332年、フィリッポが亡くなり、その子ロベルト2世がアカイアの新しい宗主となった。ジョヴァンニは甥に臣従を誓うことを望まず、ロベルトが持つアルバニア王国の権利と引き換えにアカイアを手放すことを交渉し、ニッコロ・アッチャイウォーリから金5000オンスの借り入れを得た。これ以降、ドゥラッツォ公を名乗った。王の称号は一度も用いなかったが、アルバニア王国の統治者でもあったとされる。こうして彼は、アンジュー家から分かれた新しい家系、アンジュー=ドゥラッツォ家を興した。ジョヴァンニは1336年4月5日に亡くなった。
アニェスとの間には4人の息子がいた。ステファーノ(1328年とも伝わる生まれで、1380年没)、ドゥラッツォ公となったカルロ(1323年〜1348年)、グラヴィーナ伯となったルイージ(1324年〜1362年)、ロベルト(1326年〜1356年)である。カルロはナポリ女王ジョヴァンナ1世の妹マリア・ディ・カラブリアと結婚し、その娘マルゲリータはナポリ王カルロ3世の妃となった。ルイージはそのカルロ3世の父である。ほかに庶子のトリスターノ・ディ・セッラーノ(1334年〜1356年)がいた。
同じ年に亡くなった人物
- アルパ・ケウン (1336年没)
- ラモン・ムンタネー (1336年没)
- チーノ・ダ・ピストイア (1336年)
- 後伏見天皇 (1336年没)
- 楠木正成 (1336年没)
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