伝記
ジョン・メイナード・ケインズは、1883年6月5日、イングランドのケンブリッジに、ケンブリッジ大学の経済学者ジョン・ネヴィル・ケインズと母フローレンスの子として生まれた経済学者である。名門イートン・カレッジを経て、1902年にケンブリッジ大学のキングス・カレッジに入学し、数学を専攻した。学生時代は政治にも関心が深く、学内のサークル「ザ・ソサエティ」では代表を務めた。1905年にアルフレッド・マーシャルに学んで、経済学の道へ進んだ。1906年に卒業すると、高等文官試験を2位で通過してインド省に就職したが、1908年に退官し、ケンブリッジ大学に戻ってキングス・カレッジの研究員となった。大学では講師として貨幣論を研究し、経済原論も講義した。1912年には経済学誌の編集者に就任し、1945年まで務めた。1915年に大蔵省へ移り、役人生活を送った。
1919年、第一次世界大戦の終結のためのパリ講和会議に大蔵省首席代表として参加したが、寛大な賠償を主張する提案は受け入れられず、敗戦国ドイツには莫大な賠償請求が突きつけられた。これに反対して6月に大蔵省を退職し、ケンブリッジ大学に戻り、同年12月に講和会議の内幕とその失敗を論じた『平和の経済的帰結』を発表した。この本はベストセラーとなったが、強い批判も浴びた。1921年には長年の研究をまとめた『確率論』を、1923年には『貨幣改革論』を発表した。1925年には、大蔵大臣チャーチルの金本位制復帰政策に反対して『チャーチル氏の経済的帰結』を発表し、論争を引き起こした。1926年に『自由放任の終わり』、1930年に『貨幣論』を発表している。このころ、ケンブリッジの若手の経済学者たちが定期的に会合を開き、『貨幣論』の内容を討論していた。リチャード・カーンを中心とするこの集まりは「ケインズサーカス」と呼ばれ、乗数効果の概念の発展に大きな役割を果たした。
1936年に代表作『雇用・利子および貨幣の一般理論』を発表した。市場のしくみに任せると有効需要は不足することがあるが、減税や公共投資によって投資を増やせば回復させられるとして、有効需要の不足による非自発的な失業の原因を明らかにした。激しい論争を呼び起こしたが、この書に端を発するケインズ経済学は、まもなく経済学の主流となった。その考えは、大恐慌に苦しむアメリカのルーズベルト大統領によるニューディール政策の後ろ盾にもなった。1937年夏に心臓発作を起こして活動を縮小したが、1940年には大蔵大臣の経済顧問として21年ぶりに大蔵省へ復帰し、1941年にはイングランド銀行理事に就任した。1942年6月にティルトンのケインズ男爵の爵位を授けられ、上院の自由党席に着いた。
1944年のブレトンウッズ連合国通貨会議には、イギリスの立場から参加して、バンコールという国際通貨の創設を提案した。しかしアメリカのハリー・ホワイト案による国際通貨基金と世界銀行の設立案が通り、ブレトン・ウッズ体制が築かれた。1946年2月には、国際通貨基金と国際復興開発銀行の理事に任命されたが、こうした激務は健康を損ない、同年に心臓発作で倒れて、サセックス州ファールで4月21日に没した。
同じ年に亡くなった人物
- マックス・ケーゲル (1946年没)
- アレクサンドル・アレクサンドロフ (作曲家) (1946年没)
- サイモン・フレクスナー (1946年没)
- グリゴリー・ネウイミン (1946年没)
- ペール・アルビン・ハンソン (1946年没)
同じ地域に関係する人物
- デービス・ギルバート (1839年没)
- マルコム・マゲリッジ (1990年没)
- チャールズ・ウェッブ (2020年没)
- A・A・ミルン (1956年没)
- ソフィア・ジェクス=ブレーク (1912年没)