伝記
ウィリアム2世は、アテネ公位を継いだシチリア王家の王子である。フランス語ではギヨーム2世と呼ばれる。1312年、カターニアに生まれた。父はシチリア王フェデリーコ3世で、2世と数える場合もある。母はアンジュー家のエレオノーラで、ナポリ王カルロ2世の娘にあたる。存命の3人の息子のうちの三男だった。
1317年11月9日に兄のマンフレードが亡くなると、まだ5歳だったウィリアムが兄に代わってアテネ公位を継いだ。幼かったため自らは領地に赴かず、ギリシアの所領は庶出の異母兄アルフォンソ・フェデリーコが代理として治めた。アルフォンソは1319年にテッサリアの一部を征服し、ネオパトラ公国をカタルーニャ人の領地に加えている。1320年ごろには父がマルタとゴゾの伯領をウィリアムに与えたが、1330年にアルフォンソがギリシアから戻ると、ウィリアムはその伯領を異母兄に譲った。ギリシアの両公国の総督には、ニコラ・ランツァ、次いでオド・ド・ノヴェルが置かれたという。ある文書は、ウィリアムと庶出の異母兄がエウボイア島での和平の合意をまとめたことを裏づけている。
1335年、ウィリアムはロジェー・ド・ローリアの子孫にあたるマリア・アルバレス・デ・ヘリカと結婚した。教皇の特免を得ないままの結婚だった。ヨハネス22世もベネディクトゥス12世も、父フェデリーコの力を抑えようとしていたためという。2年後の1337年、父は、母エレオノーラが亡くなったときにはタラント侯国、カラタフィーミ伯領、モンテ・サンタンジェロの名誉領、ノートやスパッカフォルノなどの城と土地をウィリアムに遺すと遺言した。母の死は1341年であり、ウィリアムはそれより先に亡くなった。
ウィリアムは1338年に亡くなった。没日は8月22日とも5月12日ともいわれ、没地もパレルモともバレンシアともされる。蔵書はパレルモのドミニコ会に遺され、遺体は同地の大聖堂に葬られた。公位は弟のジョアンが継いだ。未亡人となったマリアは、のちにアンプリアス伯ライモンド・ベレンゲーと再婚した。名の分からない愛人との間にはステファノという子がいたが、1352年より前に没した。
同じ年に亡くなった人物
- テオドーロ1世 (モンフェッラート侯) (1338年)
- ムハンマド (イルハン朝) (1338年没)
- 新田義貞 (1338年没)
- トマス・オブ・ブラザートン (初代ノーフォーク伯) (1338年没)
- アンナ・フォン・ベーメン (1323-1338) (1338年没)
同じ地域に関係する人物
- マヌエル・バデネス (2007年没)
- ホセ・マヌエル・ペスド (2003年没)
- フェルナンド・デ・アラゴン (カラブリア公) (1550年没)
- ジャシント・キンコセス (1997年没)
- フェルディナンド1世 (ナポリ王) (1494年没)