HISTORICAL PERSON · 1947年没

ヴィクトール・オルタ

ベルギーの建築家・デザイナーで、アール・ヌーヴォー様式を建築に取り込んだ最初の建築家といわれる。ブリュッセルのタッセル邸が世界初の作品とされる。

生涯
1947年没
死亡地
ベルギー王国(ブリュッセル / ブリュッセル市)
出生地
ベルギー王国(ヘント)
出典
世界地図
ベルギー王国(ブリュッセル)

伝記

ヴィクトール・オルタは1861年、ベルギーのヘントに生まれた。12歳ごろ、建設現場で働く叔父を手伝ったことが、建築への関心につながったとされる。ヘントの芸術学校で素描、織物、建築を学び、若い時期にはパリのモンマルトルでインテリアデザイナーとして働いた。そこで新しい絵画の動きに触れ、鉄とガラスを建築に使う可能性を知った。1880年に父が亡くなるとベルギーへ戻り、ブリュッセル王立美術アカデミーに入学し、結婚して二人の娘の父となった。学業で優秀な成績を収め、教授で建築家のアルフォンス・バラの助手に採用された。

バラのもとでラーケン王宮温室の設計に携わったことは、鉄とガラスを用いる最初の建築経験となった。1884年には建築のゴドシャル賞で一等を得て、奨学金でフランスとドイツを訪れた。1885年に独立すると、同年に住宅三棟を設計した。その後は富裕層の住宅に限らず、公共建築の設計競技や彫刻、墓石の仕事にも取り組んだ。1889年には、記念碑的な彫刻を収める小建築の設計を依頼された。曲線を好みながらも実用性を重んじ、建築を単なる装飾にしない姿勢を持っていた。後にアール・ヌーヴォーの同志となるポール・ハンカーとも親交を築いた。

1892年にアール・ヌーヴォーを紹介する展覧会を見た後、オルタはその植物的な曲線を建築に取り入れた。1893年に完成したタッセル教授の住宅では、鋳鉄の曲線模様を室内に配し、階段や廊下を含む空間を滑らかにつなげた。玄関ホールと階段室を中心に部屋を配置し、天窓やガラスから自然光を奥まで取り入れた。建物の構造と装飾を一体にし、家具を含む室内の細部も設計した。石造りの外観は周囲の街並みに溶け込みながら、内部には鉄やガラスを生かした明るい空間が広がる。タッセル邸はアール・ヌーヴォー建築の初期の成功例として知られるようになった。また、ブリュッセルのフリーメイソンのロッジにも加わっている。

以後、ソルヴェー邸や自邸など、ブリュッセルの住宅や店舗の設計依頼が続いた。ソルヴェー邸は1895年から1900年、自邸は1898年の作品で、後者は現在オルタ美術館となっている。ヴァン・エートヴェルデ邸は1897年から1901年に設計し、1906年には旧ウォーケーズ百貨店を手がけた。外観は質素な鉄と石で構成し、その内側に複雑な鉄のインテリアを収める方式を踏襲した。批判の声もあったが、曲線を生かした意匠はオルタの特徴となった。政治団体のために設計した人民の家は1899年に完成したが、アール・ヌーヴォーの流行が過ぎた後、1965年に取り壊された。様式が廃れるにつれ他の作品も顧みられず、取り壊されるものがあった。

晩年にはトゥルネー美術館やブリュッセルの芸術宮殿を設計した。タッセル邸、ソルヴェー邸、ヴァン・エートヴェルデ邸、自邸の四棟は、ブリュッセルに残る都市住宅として2000年に世界遺産に登録された。かつてはベルギーの二千フラン紙幣にも肖像が使われた。ヴィクトール・オルタは1947年9月8日、ブリュッセルで死去した。かつての助手ジーン・デルヘイの尽力で現存した作品もあり、旧ウォーケーズ百貨店は現在ベルギー漫画センターとなっている。

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