伝記
ジャンヌ3世は、ブルゴーニュ女伯とアルトワ女伯を兼ねた14世紀前半のフランスの貴族女性である。1308年に、のちのフランス王フィリップ5世と、ブルゴーニュ女伯ジャンヌ2世の長女として生まれた。ジャンヌ・ド・ブルゴーニュ、ジャンヌ・ド・フランスの名でも呼ばれる。祖父はフィリップ4世(端麗王)にあたり、ルイ9世の曾孫にもあたる。
幼い頃から、その結婚は王家の事情に左右された。1313年4月にはブルゴーニュ公ユーグ5世との婚約が決まった。1314年の初めには、祖父の端麗王が3人の嫁を姦通の疑いで逮捕させる事件が起こり、ジャンヌの母ジャンヌ2世も、姉妹や義姉妹の罪に加担したとして有罪となり、ドゥールダンの城に幽閉された。1315年5月にユーグ5世が世を去って婚約は結婚に至らず、同じ年に母が伯位を継いだが、ブルゴーニュ伯領は父フィリップと祖母が管理した。
1316年6月にルイ10世が没すると、ポワティエ伯だった父が摂政となった。このとき王妃は身ごもっており、11月に男子が生まれたが5日しか生きられず、父がフィリップ5世として王位に就いた。この王位継承では、ブルゴーニュ公ウード4世が、ルイ10世の娘ジャンヌ・ド・ナヴァールの権利を支持して争った。しかし9月29日にノジャン・シュル・セーヌで結ばれた契約では、姪への年金とエヴルー伯との結婚、シャンパーニュ伯領などの約束と引き換えに折れ、自らはジャンヌ3世との婚約を得た。父が王になると母は解放され、1317年1月9日に王妃として戴冠した。翌2月には、女性はフランスの王位に就けないという原則が、聖職者や有力者、大学の博士からなる委員会で示された。
1318年6月18日、ジャンヌはパリで教皇の特免を得たうえで、ウード4世と結婚した。このときジャンヌは10歳になったばかりだった。同じ日には、従姉のジャンヌ・ド・ナヴァールもエヴルー伯フィリップと結婚している。こうしてジャンヌはブルゴーニュ公妃となった。1322年に父が亡くなると、ジャンヌは王位継承から外され、6年前に従姉が外されたのと同じ扱いを受けた。
1330年に母が死去すると、ジャンヌはブルゴーニュ伯領とアルトワ伯領を継承した。母は祖母の死を受けて、前年からアルトワ女伯を務めていた。アルトワの相続をめぐっては従兄のロベール3世・ダルトワが争ったが、国王フィリップ6世は彼女に有利な裁定を下したとされる。ウード4世との間には6人の子が生まれたが、成人したのは次男のフィリップだけで、ほかは死産か幼くして世を去った。フィリップは1346年に両親に先立って死去し、ジャンヌは1347年8月に没した。所領は、フィリップの同名の息子である孫のフィリップが継いだ。この孫も1361年に早世したため、ジャンヌの妹マルグリットが、かつてのジャンヌの所領を相続することになった。
同じ年に亡くなった人物
- Al-Mudhaffar Hajji (1347年没)
- Sang Nila Utama (1347年)
- マリア・デ・ナバラ (1347年没)
- オッカムのウィリアム (1347年没)
- ルートヴィヒ4世 (神聖ローマ皇帝) (1347年没)
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