伝記
アウグスト・クローグは、1874年11月15日、デンマークのユラン半島東部ディウルスランにあるグレーノーで生まれた。父ヴィゴは造船業者で、母はホルシュタインの税関吏の娘であった。本人は母方の家系から「ジプシーの血が少し混じっている」と語っていたという。1889年、14歳で学校を終えたが、大聖堂付属学校に入るには若すぎたため、志願の海洋実習生として砲艦に乗り組み、C・G・J・ペーターセンのもとでデンマーク近海の底生動物の調査に従事した。翌年オーフスに移って大聖堂学校で学び、のちコペンハーゲン大学に進んで、1899年に修士、1903年に博士の学位を得た。
若い頃のクローグに科学的方法を教えたのは、父の幼なじみで26歳年上のクモ学者ウィリアム・ソーレンセンである。クローグはほぼ毎週日曜にソーレンセン家の昼食に招かれ、1916年にソーレンセンが亡くなったあとも「私の科学的方法の師」と呼んだ。ソーレンセンが大学の有力な動物学者たちを激しく攻撃した論争でクローグは友の側に立ち、教授陣の一部から敵視されたが、その後の経歴に大きな影響はなかったようである。クローグは1908年からコペンハーゲン大学で講義を始め、1910年には動物生理学に関する同大学で最初の研究所を立ち上げ、1916年に正教授となった。
研究の中心は比較生理学である。カエルの皮膚呼吸と肺呼吸を扱った1915年の『動物の呼吸交換』を著し、のちには水生動物の水と電解質のホメオスタシスに取り組んで、1939年に『浸透調節』、1941年に『呼吸機構の比較生理学』を出版した。国際誌に寄せた論文は200を超える。スパイロメーターや基礎代謝を測る装置など、実用性の高い計測機器も自ら考案した。1920年には、骨格筋における毛細血管の調節機構の発見でノーベル生理学・医学賞を受けた。細動脈や毛細血管が開閉することで、筋肉などの血流が需要に応じて調節される仕組みを、初めて記述したのである。1905年に結婚した妻マリーは自身も著名な科学者で、仕事の多くは彼女との共同で行われた。1930年代にはボーアやヘヴェシーとともに、重水や放射性同位体に対する膜の透過性を研究し、デンマーク初のサイクロトロンを手に入れた。1928年にはロックフェラー財団の支援で研究所の新館が建った。
1922年、ノーベル賞受賞後の北米講演旅行で、クローグは2型糖尿病を患う妻マリーとともにトロントを訪れた。バンティング、ベスト、マクラウドが活性のあるインスリンの製造に成功した直後であった。北欧でのインスリン製造の許可を得て帰国すると、糖尿病専門医ハンス・クリスチャン・ハーゲドルンと組み、豚の膵臓からエタノールで抽出する方法を考案して、デンマーク国内で生産を始めた。これが1923年のノルディスク・インスリン研究所の設立につながった。1925年には元従業員のペダーセン兄弟がノヴォ治療研究所を興し、両社は競い合ったのち、1989年に合併してノボ・ノルディスクとなった。クローグは1937年に王立協会の外国人会員に選ばれ、1940年にクルーニアン・メダルを受けた。1949年9月13日に没した。
同じ年に亡くなった人物
- エツィオ・ロイク (1949年没)
- Humberto de Araujo Benevenuto (1949年没)
- アンリ・マンガン (1949年没)
- モーリス・ブロンデル (1949年没)
- ニコス・スカルコッタス (1949年没)
同じ地域に関係する人物
- イングリッド・アヴ・スヴェーリエ (2000年没)
- ユリアーネ・マリー・フォン・ブラウンシュヴァイク (1796年没)
- カール・ニールセン (1931年没)
- アウゴスト・エナ (1939年没)
- クリスチャン9世 (デンマーク王) (1906年没)