HISTORICAL PERSON · 1359年没

ベアトリス・デ・カスティーリャ・イ・モリナ

ポルトガル王アフォンソ4世の王妃。7子をもうけ、息子ペドロ1世の即位を見届けた。

生涯
1359年没
死亡地
スペイン王国(ポンテベドラ県 / バイヨーナ)
出生地
スペイン王国(トーロ)
出典
世界地図
スペイン王国(ポンテベドラ県)

伝記

ベアトリス・デ・カスティーリャ・イ・モリナは、1293年3月8日にトロで生まれ、1359年10月25日にリスボンで没したポルトガル王アフォンソ4世の王妃である。カスティーリャ王サンチョ4世と王妃マリア・デ・モリナの末子で、六人いたきょうだいにはフェルナンド4世のほか、アラゴン王ハイメ2世の妃となったイサベルがいる。4歳ほどだった1297年、カスティーリャとポルトガルの間でアルカニセス条約が結ばれ、国境が定まって両国の争いが終わった。和平を固めるため、フェルナンド4世とポルトガル王ディニスの娘コンスタンサ、そしてベアトリスとディニスの子アフォンソという、二組の兄弟姉妹の結婚が取り決められた。ベアトリスはこの年にカスティーリャの宮廷を離れ、婚約者のアフォンソとともにディニスの宮廷で育った。アフォンソはそのころ6歳ほどだったという。この宮廷には詩や文学を重んじる風があり、ディニスの庶子である詩人のペドロ・アフォンソとアフォンソ・サンシェスも暮らしていた。ベアトリスは姑となるイザベル・デ・アラゴンに4歳のころから養われた。条約の後、ディニスは将来の嫁に、エヴォラやヴィラ・ヴィソーザなど四つの領地を持参財として与え、年に約6000リブラの収入があった。

結婚には教皇の許しが要り、教皇ボニファティウス8世は1301年に許可の勅書を出したが、二人がまだ幼かったため式は延ばされた。結婚式は1309年9月12日に行われ、アフォンソは18歳、ベアトリスは16歳だった。夫婦は子に恵まれ、幸せな結婚だったと考えられている。アフォンソは歴代の王と違い、婚外子をもうけなかった。7人の子のうち4人は幼いうちに亡くなった。成人した子には、カスティーリャ王アルフォンソ11世と結婚したマリア、後に王となるペドロ1世、アラゴン王ペドロ4世と結婚したレオノールがいる。ベアトリスは、夫が庶弟アフォンソ・サンシェスをめぐって父王と争ったとき、これを目立たぬように支えた。1321年には、まだ王位に就く前の夫からヴィアナ・ド・アレンテージョを受けた。

1325年に父ディニスが死んでアフォンソ4世が王に迎えられると、王妃となったベアトリスは、対立の調停に力を尽くしたとされる。ポルトガルの言葉と習慣に通じた初めての外国出身の王妃だったともいわれる。アフォンソ4世は旧来の恨みを忘れず、異母弟のジョアン・アフォンソを殺させ、最大の対抗者だったアフォンソ・サンシェスをカスティーリャへ追放した。1335年にはサンタレンの土地を夫から贈られた。1336年から1339年にかけて、夫と娘婿のアルフォンソ11世が戦うと、ベアトリスは国境へ出てバダホスにいたカスティーリャ王を訪ね、和平の合意を試みたが、実らなかった。1338年にはアラゴン王アルフォンソ4世の宮廷へ使節を送り、弱まっていた両国の同盟を強めようとした。1337年にはアタライア、1341年にはアレンケルの農園を受けている。

1350年にはシントラのメリデの農園が加わった。1357年に息子のペドロ1世が王になると、オビドス、アトウギア、トーレス・ノヴァス、オウレン、ポルト・デ・モス、シルヘイロスの領地を贈られた。贈与状でペドロ1世は、母が自分に注いだ養育に報い、いつも最も誠実な友だったと述べたという。この年には娘マリアも亡くなった。ベアトリスは、ペドロ1世の即位後の1359年に死去した。

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