伝記
ジョーン・オブ・ザ・タワーは、1321年7月5日にロンドン塔で生まれたイングランドの王女で、スコットランド王デイヴィッド2世の最初の王妃となった人物である。ジョーン・オブ・イングランドとも呼ばれる。イングランド王エドワード2世と王妃イザベラ・オブ・フランスの末娘で、兄にのちのエドワード3世とコーンウォール伯ジョン・オブ・エルサム、姉にエレノア・オブ・ウッドストックがいる。
1328年、スコットランドとの戦争を終わらせるため、母イザベラとその愛人ロジャー・モーティマーが結んだ条約によって、エドワード2世の娘がロバート1世の子デイヴィッドと結婚することが定められた。同年7月17日、ジョーンはベリックで、7歳のときに当時4歳のデイヴィッドと結婚した。1329年にロバート1世が病没し、デイヴィッドが即位したため、ジョーンは王妃となった。デイヴィッドは、のちの1331年11月にスクーンの修道院で戴冠したとされる。しかし1332年に、ジョーンの兄エドワード3世の支援を受けたエドワード・ベイリャルがスコットランド王として戴冠し、1333年7月のハリドン・ヒルの戦いでベイリャル側が勝った。デイヴィッドと王妃は、一時ダンバートン城に身を寄せたのち、安全のためフランスへ送られ、1334年5月にブローニュに上陸して、フランス王フィリップ6世の迎えを受けた。フランスでは丁重に扱われ、ノルマンディーのガイヤール城を住まいとして与えられた。デイヴィッドは1339年10月のヴィロンフォスでのフランス軍とイングランド軍の対峙にも居合わせた。その間にスコットランドの守護たちが摂政として国内の情勢を立て直し、国王夫妻は1341年6月に帰国して、デイヴィッドが政務を執りはじめた。
1346年、デイヴィッドはフランスとの同盟に基づいてイングランドに侵攻したが、10月17日のネヴィルズ・クロスの戦いに敗れ、捕虜となった。以後の11年間、デイヴィッドはイングランドで虜囚の生活を送り、はじめはロンドン塔に幽閉された。ジョーンは、1348年に兄の許しを得て、夫をウィンザー城に訪ねることができたが、子が生まれることはなかった。1357年にベリック条約が結ばれてデイヴィッドが帰国したとき、愛人のキャサリン・モーティマーを連れてスコットランドへ戻ったのに対し、ジョーンはイングランドに残ることを選んだ。
ジョーンは、母イザベラと非常に親しく、その晩年を看取ったという。1362年9月7日に、ハートフォード城で41歳で世を去り、ペストが死因とされる。遺体はロンドンのフランシスコ会の教会に葬られた。夫とのあいだに子はなく、34年に及んだ結婚だった。デイヴィッドは1364年にマーガレット・ドラモンドと再婚したが、この二度目の結婚でも子は得られず、スコットランド王位は甥のロバート2世が継いだ。
同じ年に亡くなった人物
- ラヌルフ・ヒグデン (1362年(推定))
- ルイージ・ディ・ドゥラッツォ (1362年没)
- ルイージ・ディ・ターラント (1362年没)
- Halil Bey (1362年没)
- オルハン (1362年)
同じ地域に関係する人物
- マーガレット・マリー (1963年没)
- ウィリアム・ラム (第2代メルバーン子爵) (1848年没)
- リチャード・ライデッカー (1915年没)
- トレヴァー・ハワード (1988年没)
- ジョン・チャドウィック (1998年没)