伝記
マール・ビーティ・アプラ・ウツルは、バビロン第7王朝、いわゆる「エラム王朝」のただ一人の王である。名は「マルビーティ神よ、後継者を守りたまえ」という意味のアッカド語である。マルビーティはデールに結びつく神で、ボルシッパに聖所があった。在位は紀元前980年から975年とも、984年から979年とも、983年から977年ともいわれ、年代は一定しない。同期王名表によれば、アッシリア王アッシュル・レーシュ・イシ2世と同時代の人であった。
前のバジ王朝がなぜ倒れ、彼がどのようにして王位に就いたのか、その事情は分かっていない。名はまったくアッカド語であるのに、王朝年代記は彼を「エラムの遠い子孫」と記している。アッカド語の称号をもつエラムの支配者は知られておらず、その治世はエラムの政治史の空白期と重なる。そのため、エラム系という出自は不明瞭だとされる。それでも、後の時代に彼が外来の簒奪者とみなされた形跡はなく、治世は正統なものと受け止められていたらしい。後世の年代記にも、他のバビロニアの王と並んで名が挙げられている。
在位は6年で、サルゴンの宮殿、あるいは解釈によっては「正統な王の宮殿」に葬られたとされる。これは正統な王にふさわしい埋葬をうかがわせる。折衷年代記には、彼の治世第4年のニサンヌ月の記録があるが、出来事そのものは残っていない。この年代記が通常取り上げる主題はアラム人の侵入による新年祭(アキトゥ祭)の中止なので、それに関わる記事だった可能性がある。
遺物としては、ロレスターン出土のブロンズ製の矢じりが4点ある。それぞれに彼の名と「世界の王」という王の称号が刻まれており、テヘランのフォルーギ・コレクションに収められていた。ただし、これらは美術市場から出たもので、ロレスターンの品と並んで現れた。バビロニアのどの勢力も情勢を安定させられなかった時代の王が名乗る称号としては野心的すぎるともいわれる。この王がエラムでも統治したのか、ロレスターンと関係をもっていたのかは疑わしく、これらの矢じりから先の結論を引き出すのは難しい。
彼の治世をもって、短期間しか在位しない王が次々と王座に就いたバビロンの一時期は終わった。