HISTORICAL PERSON · 1364年没

ロベルト (ターラント公)

アンジュー=ターラント家のターラント公で、アルバニア王、アカイア公を兼ね、名目上のラテン皇帝でもあった。若年のため母カトリーヌが実権を握り、1347年にブルボン公の娘マリーと結婚したが子はなかった。

生涯
1364年没
死亡地
ナポリ
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

ロベルト・ディ・ターラントは、アンジュー家の流れをくむターラント公で、アカイア公、名目上のラテン皇帝である。生まれた年は1315年、1319年、1326年と伝えがわかれる。ターラント公フィリッポ1世と、カトリーヌ・ド・ヴァロワ・クルトネーの長男で、存命の息子としては最年長であった。父方の祖父母はナポリ王カルロ2世とハンガリー王女マリア、母方の祖父母はヴァロワ伯シャルルと、その2番目の妃である皇后カトリーヌ・ド・クルトネーである。

父は1331年に没し、ロベルトは1331年か1332年にターラント公位を継いだ。1332年、ロベルトは、叔父のドゥラッツォ公ジョヴァンニにアルバニア王国への権利と、ニッコロ・アッチャイウォーリを通じて用立てた金5千オンスの貸付けを渡し、アカイアの権利を手に入れた。1333年とする記述もあるが、これによりロベルトは正式にアカイア公となった。若年だったため、1346年に亡くなるまで、母カトリーヌが実質的に統治し、アッチャイウォーリが助言した。ロベルトは1343年か1346年にラテン皇帝位を継ぎ、ギリシャのラテン諸国から皇帝と認められた。ただし実際の権力は、アカイア公としての権威に基づくものに限られた。

1347年9月9日、ナポリでブルボン公ルイ1世の娘マリーと結婚した。マリーはキプロスのコンスタブルを務めたギー・ド・リュジニャンの未亡人で、2人の間に子はなかった。同じ1347年、ナポリ王家の分家の争いに巻き込まれた。賢王ロベルトの孫娘ジョヴァンナの夫であるハンガリーのアンドラーシュが殺され、ジョヴァンナはロベルトの弟ルイージ・ディ・ターラントと結婚してナポリの王位に就けた。アンドラーシュの兄であるハンガリー王ルイが復讐のためナポリ王国を攻め、ルイージは逃れたが、ロベルトを含むルイージの兄弟たちは捕らえられた。1352年に解放されると、軍を集めてギリシャへ向かい、1353年から1354年にかけてコルフ島、ケファロニア島、ザキントス島を奪った。その後ナポリに戻った。

1364年、ロベルトはナポリで死去し、同地に葬られた。没日は9月10日とも10月10日ともいわれ、ターラントで没したとする記述もある。妃マリーは公位を自分と先夫との間の息子で保とうとしたが、ロベルトの弟フィリッポ2世が正式な継承者として公位を継いだ。

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