HISTORICAL PERSON · 1369年没

マルガレーテ・フォン・ティロル

ゲルツ家最後のチロル伯。二度の政略結婚と破門騒動を経て、息子の早世後にオーストリア大公にチロルを奪われ退位した。

生涯
1369年没
死亡地
オーストリア共和国(ウィーン)
出生地
イタリア共和国(ボルツァーノ自治県)
出典
世界地図
オーストリア共和国(ウィーン)

伝記

マルガレーテ・フォン・ティロルは、1318年に生まれたゲルツ家最後のチロル伯である。父はケルンテン公兼チロル伯ハインリヒ6世、母はブラウンシュヴァイク=リューネブルク公ハインリヒ1世の娘アーデルハイトで、2人の一人娘にあたる。大口を意味する「マウルタッシュ」の渾名で、マルガレーテ・マウルタッシュとも呼ばれる。父には男子の跡継ぎがおらず、1330年に皇帝ルートヴィヒ4世と取り決めて、マルガレーテがケルンテンとチロルの所領を継げるようにしていた。1327年、ボヘミア王ヨハンは次男のヨハン・ハインリヒを、ハインリヒ6世の跡取りであるマルガレーテと婚約させた。1330年、2人はインスブルックで結婚した。2人は最初から互いを好まなかったと伝えられる。

1335年に父が死ぬと、ルートヴィヒ4世は先の取り決めを破り、ケルンテンをオーストリア公アルブレヒト2世に与え、チロルは自分の一族で押さえようとした。ルクセンブルク家の側と戦争になりかけたが、1336年10月9日に和約が結ばれ、ルクセンブルク家はケルンテンの相続を放棄する代わりに、ヨハン・ハインリヒがチロルを継ぐと決まった。ところがヨハン・ハインリヒは、尊大で無能な共同統治者として、チロルの貴族に軽んじられたという。1341年11月1日の夕方、狩りから戻った夫を、マルガレーテは居城に入れなかった。夫はどの貴族のもとにも身を寄せられず、領地を離れた。ルートヴィヒ4世は諦めておらず、マルガレーテとチロルの貴族が結ぶ形で、ヨハン・ハインリヒは追放されたのである。

1342年2月10日、マルガレーテは皇帝の長男であるブランデンブルク辺境伯ルートヴィヒ2世(上バイエルン公としてはルートヴィヒ5世)と、メラーノで結婚した。この結婚で、1343年にヘルマン、1344年にマインハルトが生まれた。ヨハン・ハインリヒとの離婚が認められないままの結婚で、ヨーロッパ中の醜聞となり、教皇クレメンス6世は夫妻を破門した。ヨハン・ハインリヒの兄カール4世が、皇帝に対抗する対立王となった。この結婚は、ウィリアム・オブ・オッカムやマルシリウスらの学者が擁護したともいう。1347年、カール4世はチロル城を包囲したが退き、報復としてボーツェンとメラーノの町を焼いた。同じ1347年にルートヴィヒ4世が死ぬと、従兄のオーストリア公アルブレヒト2世の働きかけを受けるようになった。のちにマインハルトがアルブレヒト2世の娘マルガレーテと結婚し、ハプスブルク家の助けもあって、1359年に教皇インノケンティウス6世が夫妻の破門を解いた。

1361年にルートヴィヒ2世が亡くなると、息子のマインハルト3世が上バイエルンとチロルを継いだ。しかし彼は1363年に夭折した。チロルにはオーストリア大公ルドルフ4世が入り、マルガレーテを退位させてこの地を獲得した。上バイエルンは、亡き夫の弟である下バイエルン公シュテファン2世が相続した。マルガレーテは1369年10月3日にウィーンで死去し、ケルンテン=チロル系のゲルツ家は断絶した。

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