伝記
ジョッティーノは、本名をトマーソ・ディ・ステファーノ(名はマーゾとも)という、14世紀のイタリアの画家である。1324年ごろにフィレンツェで生まれ、1372年ごろに没したとされる。有名な画家ジョット・ディ・ボンドーネ(1267年ごろ-1337年)の様式を受け継いだことから、「ジョッティーノ(小ジョット)」と呼ばれた。画家のほか彫刻家でもあったともいわれ、フィレンツェ派に属する。
父は、同じくジョットに影響を受けた画家のフィレンツェのステファノ(1301年-1350年)とされ、ジョッティーノは父から絵を学び、父の助言でジョットの作品を研究したと伝えられる。ただし、確実に父の作品とされるものは残っておらず、ジョットの子だとする説は根拠が乏しいとみられている。ジョッティーノの生涯は主に16世紀のジョルジョ・ヴァザーリの『画家・彫刻家・建築家列伝』などで伝えられるが、現代の研究では、同じ時代の画家たちとの混同があると指摘されている。ジョッティーノ自身が、何世紀にもわたって、マーゾ・ディ・バンコやステファノその人と混同されてきた。
ヴァザーリは、短い画業のあいだに数多くのフレスコ画を描いたと挙げている。それによると、1340年にアテネ公ゴーティエ・ド・ブリエンヌがフィレンツェから追放されたあと、ジョッティーノはその肖像と大臣たちの肖像を、家の紋章とともに塔に描くよう命じられたというが、この絵は失われている。フィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂のバルディ家霊廟の壁画も、ヴァザーリらはジョッティーノの作品としていたが、現在ではマーゾ・ディ・バンコの作品とされる。同じ聖堂の聖シルヴェストロ礼拝堂の壁画や、アッシジに残る作品もジョッティーノのものとされることがある。
確実にジョッティーノの作品として知られているのは、1356年ごろに描かれ、現在ヴェネツィアのアカデミア美術館にある聖人と聖母子を描いた作品と、1360年代に描かれてフィレンツェのサン・レミジオ聖堂に置かれ、1851年にウフィツィ美術館へ移された「サン・レミジオのピエタ」である。ピエタは、感情の表現にすぐれ、レアリスム(写実)の発達も示すとされ、傑作とみなされている。ジョッティーノの活動は、今も同定や帰属をめぐる難しい問題の中心にある。フランス王ジャン2世の肖像画が、ジョッティーノの作品とされることもあるが、確かではない。
同じ年に亡くなった人物
- バグラト1世 (イメレティ王) (1372年没)
- ジョン・マンデヴィル (1372年没)
- イザベル・ド・フランス (1348-1372) (1372年没)
- ジョヴァンニ2世 (モンフェッラート侯) (1372年没)
- Rudolf VI of Baden (1372年)
同じ地域に関係する人物
- ジョゼフ・ボナパルト (1844年没)
- フェドーラ・バルビエーリ (2003年没)
- アーニョロ・ガッディ (1396年没)
- ジョバンニ・バッティスタ・アミーチ (1863年没)
- バルトロメオ・アンマナーティ (1592年没)