伝記
ジャック・デ・ボーは、ナポリ王国のフランス系貴族で、ターラント公、アカイア公となり、名目上のラテン帝国皇帝を称した最後の人物である。イタリア語名ではジャコモ・デル・バルツォとも呼ばれる。南フランスのプロヴァンス地方の領主ボー家の末裔だが、ナポリ王国に移住した系統に属する。ジャックの先祖は1266年、曾祖父の代に主君のプロヴァンス伯シャルル・ダンジューに従ってナポリに移り、現地の貴族層に同化した。
父はアンドリア公フランチェスコ・デル・バルツォ、母はターラント公フィリッポ1世の娘マルゲリータで、ジャックは2人の長男として生まれた。母を通じてアンジュー王家の血筋に連なる。叔父のターラント公フィリッポ2世は子がなく、1373年に甥のジャックを全財産の相続人と定めた。これによりジャックは、ナポリ王国内のターラント公領とギリシアのアカイア公領、ラテン帝国への権利を受け継ぐ立場になった。ただし、王室と近しい関係にあるとはいえ、ジョヴァンナ1世女王の混乱した治世において、一族の地位は安泰ではなかった。
1374年に叔父のフィリッポ2世が亡くなると、アカイア公国の貴族の多くは女王ジョヴァンナ1世を相続人と認めた。女王はフランチェスコとジャックのイタリアにある所領をすべて没収して国外に追放し、ジャックはコルフ島に逃れ、父は教皇のいるアヴィニョンに逃れた。それでもジャックは、ターラント公領と名目上のラテン帝国皇帝の座を継ぎ、アカイア公領の明け渡しを女王に要求した。1376年か1377年には、女王が聖ヨハネ騎士団にアカイア公国を5年間貸し与えている。フィリッポ2世の親族はジャックを対抗の候補に立て、1380年にはある程度の成功を収めた。ジャックはこの係争のため、もとは騎士団に雇われていたナバラ傭兵団を雇い、アテネ公国などペロポネソス半島の諸地方を荒らさせた。1381年にジョヴァンナ1世が敗れ、1382年に亡くなると、ジャックはアカイア公領のただ一人の正統な請求者となった。ナバラ傭兵団はメッシニアの多くとアンドルーサ、カラマタの町を彼のために征服した。ジャックはアカイア公国の貴族層の支持を受けて公位に就いたが、公位の正統性をめぐって、ナポリの新王カルロ3世や、ジョヴァンナ1世の最後の夫オットー公と争わねばならなかった。
1382年の初め、ジャックは、ドゥラッツォ公カルロの娘アニェーゼと結婚した。アニェーゼは1345年に生まれ、1388年に亡くなった人物で、ヴェローナの領主カンシニョーリオ・デッラ・スカーラの未亡人で、カルロ3世の妃マルゲリータの姉でもあった。この結婚はカルロ3世との同盟を固めるためのものとされたが、子は生まれなかった。ジャックは1383年7月7日に亡くなった。死に際してフランス王シャルル5世の弟ルイ・ダンジューを後継者に指名したが、血統上の裏付けのないルイの相続権は多方面から疑問視された。その結果、アカイア公領はナバラ傭兵団の占領支配下に置かれ、ターラント公領は親戚筋のライモンド・オルシーニが相続を請求した。ラテン皇帝の称号は、アンジュー家の誰もが名乗ろうとしなかったため、ジャックの死とともに消滅した。
同じ年に亡くなった人物
- マテオス・カンダクジノス (1383年没)
- イザベル・ド・ヴァロワ (ブルボン公妃) (1383年没)
- フェルナンド1世 (ポルトガル王) (1383年没)
- ヨハネス6世カンタクゼノス (1383年没)
- ラドゥ1世 (1383年)
同じ地域に関係する人物
- ニコラ・ファーゴ (1745年没)
- アルキダモス3世 (紀元前338年没)
- フィリッポ2世 (ターラント公) (1373年没)
- ジョヴァンニ・パイジエッロ (1816年没)
- ピエール・ショデルロ・ド・ラクロ (1803年没)