伝記
ヨハンナ・フォン・バイエルンは、1362年に、バイエルン公アルブレヒト1世と最初の妻マルガレーテ・フォン・ブリークの娘として、ハーグで生まれたとされる。生年には1356年とも1361年ともいう異説がある。皇帝ルートヴィヒ4世の孫にあたり、姉カタリーナのほか、5人の年下のきょうだいがいた。バイエルン公家は、ネーデルラントに多くの領地を持っていた。
1370年、ヨハンナは8歳で、のちにボヘミア王、ローマ王となる9歳のヴェンツェルと結婚することになった。この縁組は、ボヘミアに対抗するハンガリー王、ポーランド王と、ヨハンナの実家のバイエルン公家の同盟を断ち切るために取り決められたという。8月23日、ヨハンナは両親とともにハーグを発ち、ロッテルダム、ケルン、マインツ、ヴュルツブルクを経てニュルンベルクへ向かった。一行は贈り物として、ヨーロッパウナギと塩漬けのニシンを持参した。9月18日、ヨハンナはニュルンベルクで皇帝カール4世の代理人に引き渡された。両親がシュトラウビングの居城へ向かう間に、ヨハンナはプラハの王宮へ連れて行かれた。2人は親戚どうしだったため、カール4世が教皇の特免状を取りつけ、その8日後の29日に象徴的な結婚式が行われた。同じ年の11月17日には、プラハでボヘミア王妃として戴冠した。1373年10月2日には、ヴェンツェルがブランデンブルク選帝侯の位を継いだため、ヨハンナは選帝侯妃となった。
結婚式が改めてプラハで行われたのは1376年であり、この年から夫妻は共に暮らすようになった。同じ1376年7月6日、2人はアーヘンでローマ王と王妃として戴冠した。ヨハンナはチェコ語をすぐに覚え、最も近い相談相手は、ヴェンツェルの継母である皇后エリーザベトだった。1378年11月29日にカール4世が亡くなると、ヴェンツェルはボヘミア王とドイツ王を兼ねた。ヨハンナは舅の葬儀に出席し、その後まもなく、プラハの王宮を離れて南ボヘミアのピーセク城に移り、およそ1年を過ごした。皇后との不和が原因だったとみられる。王妃として大きな役割を果たしたわけではないが、自分の王妃の印章を持ち、気さくで明るい人柄で知られたという。ヴェンツェルは酒を好み、狩りに熱中して、猟犬の群れを自分の寝室で寝かせていた。ヨハンナは、夫に生活を改め、王の務めにもっと真剣に取り組むよう説いたらしい。2人の間に子はなかった。
1386年12月31日、ヨハンナはカルルシュテイン城で死去した。夫の猟犬に襲われたことが原因とされるが、確かな死因は分かっていない。ある年代記作家によれば、ヨハンナは真夜中に目を覚まして寝台の下の便器を探し、その物音に驚いて起きた犬が喉に噛みついたという。遺体はプラハ近郊のシトー会の修道院に葬られた。ヴェンツェルは1389年5月2日に、ヨハンナの従兄ヨハン2世の娘ゾフィーと再婚した。
同じ年に亡くなった人物
- レオノール・テレス・デ・メネゼス (1386年没)
- カルロ3世 (ナポリ王) (1386年没)
- バルナバ・ダ・モデナ (1386年)
- ダン1世 (1386年)
- ユーフェミア・ド・ロス (1386年)
同じ地域に関係する人物
- ヴィーチェスラフ・ネズヴァル (1958年没)
- Aegidius Sadeler (1629年没)
- Josef Dolezal (1999年没)
- アロイス・ハーバ (1973年没)
- ベルナルト・ボルツァーノ (1848年没)