HISTORICAL PERSON · 68年没

ガイウス・ニュンピディウス・サビヌス

ネロ帝の下で紀元65年から68年まで親衛隊長官を務めた人物。ネロへの陰謀に加わり親衛隊を離反させたが、自ら皇帝を名乗ろうとして兵に殺された。

生涯
68年没
死亡地
イタリア共和国(ローマ県 / ローマ)
出生地
イタリア共和国(ローマ)
出典
世界地図
イタリア共和国(ローマ県)

伝記

ガイウス・ニュンピディウス・サビヌスは、皇帝ネロの時代にローマの近衛隊長官を務めた人物である。65年から68年に没するまでその職にあり、オフォニウス・ティゲリヌスと同僚として長官職を分け合った。のちにネロを見限って近衛隊をネロから離反させたが、自ら皇帝を名のろうとして、配下の兵士に殺された。

母はニュンピディアという皇帝の解放奴隷の女性で、ガイウス・ユリウス・カリストゥスの娘であった。父については、容貌が似ていた剣闘士マルティアヌスだったという説がある。一方でニュンピディウス自身は、先々代の皇帝カリグラの庶子だと言いふらしたとされる。出自は低かったが、65年のピソの陰謀の後に処刑が相次ぐと、昇進の機会が開けた。同僚のファエニウス・ルフスが処刑されたため、ニュンピディウスはその後任としてティゲリヌスと並ぶ長官になった。それ以前は近衛隊の護民官であった。

68年、ガリア・ルグドゥネンシスの総督ウィンデクスが3月に蜂起し、タラコネンシスのガルバがこれに加わった。ニュンピディウスはガルバと密かに手紙をやり取りして味方につけられたとされる。ティゲリヌスが病に倒れていたこともあり、近衛隊への支配を少しずつ固めていった。ネロには嘘や誇張を伝えて操ったという。6月8日には、ネロはローマを逃げ出した、ガルバは彼を皇帝に推戴すれば一人7,500デナリウスの賞与を与えると約束している、と兵士たちに信じさせた。こうして近衛隊はガルバに寝返り、ネロは夜のうちにローマを離れて解放奴隷ファオンの家に身を寄せた。翌9日、元老院はガルバを皇帝と認め、ネロを国家の敵と宣告し、ネロはその数時間後に自殺した。

ネロの死からガルバのローマ到着までの間、ニュンピディウスは素早く動いた。ティゲリヌスに剣を返上させて引退に追い込み、自分が近衛隊の唯一の指揮官となった。元老院は彼に「祖国の恩人」の称号を贈り、公文書を彼の名で出して、彼だけが承認する権限を持つと定めた。プルタルコスによれば、こうした栄誉は支持者にまで彼を忌まわしく恐ろしい存在と思わせた。民衆に取り入るためネロの側近を群衆に引き渡し、剣闘士スピキルスは広場で踏みつぶされたが、こうした行き過ぎは元老院議員たちから非難された。6月から7月にかけて、彼が事実上ローマを動かしていたとみられる。

だが、ガルバは後任の近衛隊長官にコルネリウス・ラコを任じ、アフリカのルキウス・クロディウス・マケルを殺させるなど、ライバルになりうる者を除く手を打った。ニュンピディウスにとって不安な動きだったに違いない。彼はネロの死を自分ひとりの手柄だと考え、受けた栄誉や富に満足せず、帝位を望むようになった。カリグラの庶子だという噂を広め、ネロが愛した少年のような解放奴隷スポルスを火葬の場から連れ去って妻とし、ポッパエアの名で呼ばせたという。友人ゲリアヌスをスペインに送ってガルバの様子を探らせ、帰国後の報告を受けると、ガルバに影響力を持つティトゥス・ウィニウスの力をそごうとして近衛隊の護民官たちを集めた。しかし護民官たちはガルバへの助言を拒んだ。ネロにしたのと同じように、ガルバにも歪めた情報を与えようとしたが、これも成功しなかった。近衛兵たちは、ニュンピディウスがその場にいることより、ガルバの人望のほうが重いと見抜き、新帝がローマに着く前に彼を殺害した。低い身分の者でも自力でこれほど高い地位に上れたこと、そして四皇帝の年と呼ばれる混乱の中で、近衛隊の忠誠が帝位継承にきわめて重要だったことを、彼の生涯は示している。

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