HISTORICAL PERSON · 1957年没

クリスチャン・ディオール

フランスのオートクチュールデザイナー。1947年にデビューし、活動は11年だったが、彼の名を冠したメゾンはパリの最高峰であり続ける。

生涯
1957年没
死亡地
イタリア共和国(ピストイア県 / モンテカティーニ・テルメ)
出生地
フランス共和国(グランヴィル)
出典
世界地図
イタリア共和国(ピストイア県)

伝記

クリスチャン・ディオールは、1905年1月21日にフランス北西部ノルマンディーの海辺の町グランヴィルで生まれ、1957年10月に没したフランスのオートクチュール・デザイナーである。1947年にデビューし、「ニュールック」で女性の服装を一変させた。1950年代のオートクチュールを代表する四人のひとりに数えられ、没後もメゾンは続いている。

肥料と化学薬品を扱う家業ディオール兄弟社の経営者モーリス・ディオールと、妻マドレーヌ・マルタンの、五人の子の二番目に生まれた。一家は5歳のころにパリへ移ったが、夏の休暇のたびにノルマンディーの海岸へ戻っていた。両親は息子が外交官になることを望み、パリ政治学院に進ませたが、本人は芸術に強い関心があり、学業には身が入らず中退した。1928年には友人と、父の出資で小さな画廊を開き、ピカソらの絵を並べた。しかし世界恐慌で父が資産を失ったため、三年後に画廊は閉じられた。のちに結核にかかり、一年ほど療養する間にファッション画を描いて、いくつかのクチュールハウスへ送ったところ、買い取られた。パリに戻ってからは、新聞や雑誌の挿絵を描いて生計を立てた。

1930年代の終わり、デザイナーのロベール・ピゲに雇われ、そのコレクションのために服をデザインする機会を得た。ディオールはのちに、ピゲから、簡素であることの長所によって本物の優雅さが現れることを教わったと語っている。ここで同僚のピエール・バルマンと働いたが、戦争の勃発で兵役に就くことになった。1942年に軍隊から戻ると、占領下のパリでリュシアン・ルロンのもとに加わり、バルマンとともに主要なデザイナーとして働いた。ナチス占領下では、ほかの多くのクチュールハウスと同じく、ナチスの高官や協力者の夫人のためにドレスをデザインせざるを得なかったという。その一方で、レジスタンスに参加していた妹カトリーヌは、ゲシュタポに捕らえられてラーフェンスブリュック強制収容所に送られたが、生き延びて1945年5月に解放された。

1946年の末、綿布の実業家マルセル・ブサックの後援を得て、パリのアヴェニュー・モンテーニュに自身のメゾンを開いた。翌1947年2月12日に最初のコレクションを発表した。名は「花冠」を意味するコロールだったが、ハーパーズ・バザー誌の編集長カーメル・スノウが評した「ニュールック」という言葉で知られる。細く絞ったウエストに、ゆったりと広がるスカートが特徴で、戦時中の資材不足で布の使用に厳しい制限があった時代に、布を惜しみなく使っていた。膝下まで覆うこのデザインや、贅沢な生地の使い方には、街頭で抗議する女性たちもいたが、戦後の物資不足がやわらぐにつれて、そうした動きは静まっていった。1948年には香水部門の会社を設け、毎シーズン「ライン」と呼ぶテーマを掲げて作品を発表した。1953年には文化服装学院の招きで来日し、東京や大阪などでファッションショーが開かれた。

1957年10月、休暇で訪れていたイタリアのモンテカティーニで急死した。死因は心臓発作とされるが、真相は今も定かでないという。後を継いだのは、21歳のイヴ・サン=ローランであった。

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