伝記
ヨハンナ・ゾフィー・フォン・バイエルンは、1373年か1377年に生まれた、オーストリア公アルブレヒト4世の妃である。バイエルン公アルブレヒト1世と、最初の妃マルガレーテ・フォン・ブリークの末娘で、ヴィッテルスバッハ家の一員であった。父方の祖父母は神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世と、エノー女伯マルガレーテ2世である。姉にボヘミア王ヴェンツェル4世の妃ヨハンナ、ブルゴーニュ公ジャンの妃マルガレーテがおり、兄にはエノー女伯ジャクリーヌの夫となったヴィルヘルム2世と、リエージュ司教でもあったバイエルン公ヨハン3世がいた。
1381年、4歳のアルブレヒト4世と婚約した。これにより、父アルブレヒト1世と、アルブレヒト4世の父であるオーストリア公アルブレヒト3世との不和も終わった。アルブレヒト1世は持参金として1万ペニヒを用意し、ナッテルンベルク要塞とデッゲンドルフの町を担保として与えた。結婚式は1390年4月24日にウィーンで行われたとされるが、1395年6月とする記述もある。このとき、花嫁は12歳とも17歳ともいわれ、花婿は12歳であった。
1395年にアルブレヒト3世が死去し、夫アルブレヒト4世がオーストリア公位を継いだ。夫はしばしば、妻の実家の人々と争った。姉ヨハンナの夫であるボヘミア王ヴェンツェル4世や、その異母弟のジギスムントとも衝突した。この争いは、1404年に彼が死んで終わった。2人の間には、1395年生まれの娘マルガレーテと、1397年生まれの息子アルブレヒト5世の2人の子が生まれ、いずれも成人した。
夫の死後、ヨハンナ・ゾフィーは再婚しなかった。彼女は子供たちの結婚を取りまとめ、娘マルガレーテとバイエルン=ランツフート公ハインリヒ16世との縁組を、ハインリヒの父フリードリヒ公と交渉した。1410年、36歳か37歳でウィーンで没し、ウィーンのシュテファン大聖堂に葬られた。この結婚は2年後の1412年に行われ、彼女はそれを見ることがなかった。息子アルブレヒト5世は、のちにローマ王アルブレヒト2世、ハンガリー王、ボヘミア王となり、神聖ローマ皇帝ジギスムントの一人娘エリーザベト・フォン・ルクセンブルクと結婚した。
同じ年に亡くなった人物
- ジェフダ・クレスケス (1410年)
- ルイ2世 (ブルボン公) (1410年没)
- バルトロ・ディ・フレーディ (1410年)
- エーリヒ4世 (ザクセン=ラウエンブルク公) (1410年代没)
- マルティン1世 (アラゴン王) (1410年没)
同じ地域に関係する人物
- ジョン・バナー (1973年没)
- Marianne Brandt (1921年没)
- マリー・ヴァレリー・フォン・エスターライヒ (1924年没)
- ルドルフ・キルヒシュレーガー (2000年没)
- ヨハン・バプティスト・エマニュエル・ポール (1834年没)