伝記
エリーザベト・フォン・ニュルンベルクは、ローマ王ループレヒトの妃である。1358年に、ニュルンベルク城伯フリードリヒ5世と、マイセン辺境伯フリードリヒ2世の娘エリーザベトの長女として生まれた。父は神聖ローマ皇帝カール4世の忠実な同盟者で、1363年に帝国諸侯に列せられた。妹のベアトリスは、オーストリア公アルブレヒト3世に嫁いだ。
1374年6月27日、エリーザベトはアンベルクで、プファルツ選帝侯ループレヒト2世の子ループレヒト3世と結婚した。二人のあいだには、6人の息子と3人の娘が生まれた。1375年にループレヒト・ピパン、1376年にマルガレーテ、1377年にフリードリヒ、1378年にルートヴィヒ3世、1379年にアグネス、1381年にエリーザベト、1383年にヨハン、1385年にシュテファン、1390年にオットー1世である。ループレヒト・ピパンは1397年に亡くなり、フリードリヒも1401年に亡くなった。マルガレーテは1393年にロレーヌ公シャルル2世と結婚し、ロレーヌ女公イザベルの母となった。アグネスはクレーフェ公アドルフ1世と、エリーザベトは1406年にオーストリア公フリードリヒ4世と結婚した。
1397年に父のフリードリヒ5世が退くと、エリーザベトの弟のヨハン3世とフリードリヒ6世がニュルンベルク城伯領を継いで治め、のちにフリードリヒ6世は、ホーエンツォレルン家で初めてのブランデンブルク選帝侯となった。翌1398年には、ループレヒト3世が父の跡を継いでプファルツ選帝侯となった。1400年にライン川流域の選帝侯たちと結んで国王ヴェンツェルを廃し、続いてレンスでローマ王に選ばれて、エリーザベトは王妃となった。王の支配は不安定だったが、自らの領土は広げることができたという。1402年には、ルートヴィヒ3世がイングランド王ヘンリー4世の娘ブランシュと結婚した。
夫のループレヒトは1410年5月18日に亡くなり、ルートヴィヒ3世がプファルツ選帝侯の位を継いだ。ヨハン、シュテファン、オットー1世は、それぞれノイマルクト、ジンメルン=ツヴァイブリュッケン、モスバッハの伯となり、各家の祖となった。エリーザベトは、夫の死の翌年の1411年にハイデルベルクで亡くなった。53歳であった。ハイデルベルクの聖霊教会に、夫とともに葬られた。この教会は、夫が城の近くに建てさせたものである。
ノイシュタット・アン・デア・ヴァインシュトラーセの参事会教会の聖歌隊席の天井には、最後の審判のフレスコ画があり、ローマ王ループレヒトと妃エリーザベト、息子のルートヴィヒ3世とその最初の妃ブランシュが、等身大で描かれている。
同じ年に亡くなった人物
- タテブのグリゴル (1411年(推定))
- ヨープスト・フォン・メーレン (1411年没)
- メルキオール・ブルーデルラム (1411年(推定))
- ハスダイ・クレスカス (1411年(推定))
- ロベール1世 (バル公) (1411年没)
同じ地域に関係する人物
- クリスティアン・ヴェーバー (1945年没)
- オイゲン・バウマン (1896年没)
- ウィルヘルム・キューネ (1900年没)
- リナ・ラトケ (1983年没)
- フェルディナント・ハイム (1971年没)