伝記
ジェラール・フィリップは、1922年12月4日に南フランスのカンヌで生まれた俳優である。本名はジェラール・アルベール・フィリップといい、「フランスのジェームズ・ディーン」とも呼ばれた。裕福な家に生まれ、父マルセルは南仏やパリでホテルをいくつも経営し、母ミヌーはシャルトルの菓子職人の娘と、プラハから来たチェコ人移民とのあいだに生まれた。一歳上の兄ジャンがいた。幼い頃のあだ名はジェジェで、やんちゃで甘えん坊だったという。カンヌのマリア会系の学校で学び、戦争が始まる頃に大学入学資格を取った。1940年に一家はグラースへ移り、父は同地のホテルを経営した。
第二次世界大戦中、ニースの大学で法律を学び始めたが、ナチスに占領されたパリを逃れてカンヌに来ていた母の知人、映画監督マルク・アレグレをはじめ、多くの演劇関係者と出会い、映画や演劇の世界に魅了されて俳優を志すようになった。父は反対したが、母が味方になって、アレグレにオーディションを受けさせた。カンヌの演劇学校を経て、クロード・ドーファンの一座に入り、1942年、カジノ座で初舞台を踏んだ。その後は各地を巡業し、1943年には端役ながら『夢の箱』で映画デビューした。母の縁起担ぎで姓の末尾にeを加え、名と姓の合計を13文字にし、以後その綴りを生涯使ったという。パリのフランス国立高等演劇学校に進んで技を磨き、1943年にパリで上演された『ソドムとゴモラ』が好評を博して、一躍注目を集めたとされる。1945年には『星のない国』で初主演を果たし、映画の評価は低かったが、舞台は大好評となった。
1946年にはドストエフスキー原作『白痴』のムイシュキン公爵を演じ、水際立った美男子ぶりと高い演技力で人気に火がついた。1947年、レイモン・ラディゲ原作、クロード・オータン=ララ監督の『肉体の悪魔』で、人気をフランスのみならず世界的なものにした。続けて『パルムの僧院』『すべての道はローマへ』『悪魔の美しさ』『愛人ジュリエット』に主演し、1951年には代表作の一つ『花咲ける騎士道』でファンファン・ラ・チューリップを演じて、日本でも人気を得た。以後「ファンファン」の愛称で呼ばれるようになった。1952年に5歳年上の元ジャーナリスト、アンヌと結婚し、二人の子をもうけた。1953年10月には第1回フランス映画祭のために来日し、東京、大阪、京都で作品が上映された。高峰秀子は雑誌で、会えば会うほど自然で優雅だと評している。
1954年にはスタンダール原作の『赤と黒』にダニエル・ダリューを相手役に主演し、絶賛を浴びた。1956年には念願だった映画監督にも挑戦したが、作品は不評で、監督作はこの1本だけに終わった。1957年からは俳優に専念し、『モンパルナスの灯』で36歳で世を去った天才画家モディリアーニを熱演して、再び称賛された。1959年にはロジェ・ヴァディム監督の『危険な関係』でジャンヌ・モローの相手役を務めたが、ロケ中に体調を崩し、11月25日に肝臓がんのため亡くなった。ヌーヴェルヴァーグが始まった映画界を見ることのない、モディリアーニと同じ36歳の生涯だった。墓は南フランスのラマチュエルにあり、故郷カンヌには「ジェラール・フィリップ広場」がある。
同じ年に亡くなった人物
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- モーラ・マロリー (1959年没)
- オーエン・リチャードソン (1959年没)
- カロ・アラビヤン (1959年没)
- エミル・フランチシェク・ブリアン (1959年没)
同じ地域に関係する人物
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- アラン・ボンバール (2005年没)
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- フランソワ・アントワーヌ・アブネック (1849年没)
- アンドレ・メサジェ (1929年没)