伝記
ハインリヒ1世は、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公の1人で、リューネブルク侯、ヴォルフェンビュッテル侯である。1355年ごろに生まれ、1416年10月14日に没した。「寛大公」と呼ばれる。リューネブルク侯、ヴォルフェンビュッテル侯マグヌス2世と、妃カタリーナ・フォン・アンハルト=ベルンブルクの4男である。兄にヴォルフェンビュッテル侯フリードリヒ1世と、リューネブルク侯ベルンハルト1世がいる。
リューネブルク継承戦争のあと、リューネブルクを治めていたザクセン選帝侯ヴェンツェルが1388年に死去した。ハインリヒは次兄のベルンハルト1世とともにリューネブルク侯となり、リューネブルクを共同で治めた。同じ1388年、ポンメルン公ヴァルティスラフ6世の娘ゾフィーと結婚し、1392年に息子ヴィルヘルム1世、1395年に娘カタリーナが生まれた。カタリーナは1402年にザクセン選帝侯フリードリヒ1世と結婚した。
ローマ王ヴェンツェルの対立王に選ばれていた長兄フリードリヒ1世が、1400年に暗殺された。ハインリヒは、ベルンハルト1世とともにヴォルフェンビュッテル侯領を相続し、殺害した者たちへの攻撃を始めた。暗殺を仕掛けたと疑われたマインツ大司教の領地であるアイクスフェルトを荒らしまわった。ブラウンシュヴァイク=リューネブルクの諸公とマインツ大司教との和解が成立したのは、1405年になってからだった。1404年、ハインリヒはリッペ伯ベルンハルトに誘拐され、身代金を支払って解放された。のちにローマ王ループレヒトの支援を受けて、リッペ伯に報復した。また、姉の夫でホルシュタイン=レンズブルク伯兼シュレースヴィヒ公のゲルハルト6世が死去し、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンの摂政マルグレーテ1世が、その遺領シュレースヴィヒを支配下に置こうとしたときには、姉や甥たちのためにシュレースヴィヒを防衛した。1406年に最初の妻ゾフィーが亡くなった。
1409年、ハインリヒは次兄ベルンハルト1世と領土を交換し、リューネブルク侯領を単独で領有することになった。引き換えに、ヴォルフェンビュッテルは、ベルンハルト1世が単独で領有した。同じ1409年にヘッセン方伯ヘルマン2世の娘マルガレーテと再婚し、1411年に息子ハインリヒ2世が生まれた。ハインリヒは1416年に没し、リューネブルクは、息子のヴィルヘルム1世とハインリヒ2世が相続した。1428年には、再びベルンハルト1世と領土が交換され、ベルンハルト1世がリューネブルクを、ヴィルヘルム1世とハインリヒ2世がヴォルフェンビュッテルを領有することになった。
同じ年に亡くなった人物
- Seyh Bedreddin Simavi (1416年没)
- レオノール・デ・トラスタマラ (1416年没)
- ジャン1世 (ベリー公) (1416年没)
- プラハのイェロニーム (1416年)
- フルヴォイエ・ヴクチッチ・フルヴァティニッチ (1416年)
同じ地域に関係する人物
該当人物はまだありません。