HISTORICAL PERSON · 1417年没

アンヌ・ドーヴェルニュ

フォレ女伯でブルボン公ルイ2世の妻。叔父の死によりフォレ伯領を継承したが未成年のため祖母が伯領統治を代行した。

生涯
1417年没
死亡地
フランス共和国(アリエ県 / ムーラン)
出生地
—
出典
世界地図
フランス共和国(アリエ県)

伝記

アンヌ・ドーヴェルニュは、フランスの貴族女性で、ブルボン公ルイ2世の妃である。アンヌ・ドーフィヌ・ドーヴェルニュともいい、フォレ女伯であり、のちにはオーヴェルニュのドーファンとして自らの領地を治めた。1358年に生まれ、1417年9月22日に没した。

父はオーヴェルニュのドーファンのベロー2世で、母はフォレ伯の娘ジャンヌである。アンヌは長女で、母は彼女が11歳ごろのときに亡くなった。その後、父はさらに2度結婚し、3度目の妻マルグリット・ド・サンセールとの間にも子が生まれて、アンヌには全部で8人の異母きょうだいができた。アンヌは、10歳のときに従叔父のルイと婚約し、1368年7月4日にモンブリゾンで婚姻契約が結ばれた。血縁が近かったため教皇の特免が必要で、1370年9月15日に教皇ウルバヌス5世がこれを認めた。結婚式は、1370年とも、1371年8月19日にアルドで行われたともいわれる。こうしてアンヌは、1371年からブルボン公爵夫人となった。

1372年5月15日、母方の叔父のフォレ伯ジャン2世が子のないまま死去した。ジャンのきょうだいは、アンヌの母ジャンヌを含めてすべて世を去っており、子を残したのはジャンヌだけだったので、アンヌが相続人となった。しかし当時のアンヌは14歳ほどの未成年で、母方の祖母が、1382年まで伯領の統治を代行した。アンヌが成人すると、夫のルイとともに統治した。

ルイ2世との間には、2男2女の4人の子が生まれた。長女カトリーヌ(1378年生まれ)は幼くして亡くなった。長男ジャン1世(1381年生まれ)は、のちのブルボン公となる。次女イザベル(1384年生まれ)は、ポメラニアのエーリクと婚約したが、のちに修道女となり、プワシーの修道院に入った。次男ルイ(1388年生まれ)は、ボジョレー領主となったが、1404年に没した。

1400年に父が亡くなると、アンヌはオーヴェルニュのドーファン領を継いだ。以後17年にわたってこれを治め、継母マルグリットの追悼の儀式も設けた。1410年に夫のルイがモンリュソンで亡くなり、長男のジャンがブルボン公位を継いだ。アンヌはその後7年間、自らの領地を治めたのち、1417年9月22日に没した。亡くなった場所はムーランとも、クレッペともいわれる。遺骸は夫のそばに、ムーラン近くのスヴィニー修道院に葬られた。ジャンとイザベルがアンヌより長く生き、ジャンはフォレ伯領を継いだ。孫のモンパンシエ伯ルイ1世が、のちにドーファン領を相続した。

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