伝記
アンヌ・ドーヴェルニュは、フランスの貴族女性で、ブルボン公ルイ2世の妃である。アンヌ・ドーフィヌ・ドーヴェルニュともいい、フォレ女伯であり、のちにはオーヴェルニュのドーファンとして自らの領地を治めた。1358年に生まれ、1417年9月22日に没した。
父はオーヴェルニュのドーファンのベロー2世で、母はフォレ伯の娘ジャンヌである。アンヌは長女で、母は彼女が11歳ごろのときに亡くなった。その後、父はさらに2度結婚し、3度目の妻マルグリット・ド・サンセールとの間にも子が生まれて、アンヌには全部で8人の異母きょうだいができた。アンヌは、10歳のときに従叔父のルイと婚約し、1368年7月4日にモンブリゾンで婚姻契約が結ばれた。血縁が近かったため教皇の特免が必要で、1370年9月15日に教皇ウルバヌス5世がこれを認めた。結婚式は、1370年とも、1371年8月19日にアルドで行われたともいわれる。こうしてアンヌは、1371年からブルボン公爵夫人となった。
1372年5月15日、母方の叔父のフォレ伯ジャン2世が子のないまま死去した。ジャンのきょうだいは、アンヌの母ジャンヌを含めてすべて世を去っており、子を残したのはジャンヌだけだったので、アンヌが相続人となった。しかし当時のアンヌは14歳ほどの未成年で、母方の祖母が、1382年まで伯領の統治を代行した。アンヌが成人すると、夫のルイとともに統治した。
ルイ2世との間には、2男2女の4人の子が生まれた。長女カトリーヌ(1378年生まれ)は幼くして亡くなった。長男ジャン1世(1381年生まれ)は、のちのブルボン公となる。次女イザベル(1384年生まれ)は、ポメラニアのエーリクと婚約したが、のちに修道女となり、プワシーの修道院に入った。次男ルイ(1388年生まれ)は、ボジョレー領主となったが、1404年に没した。
1400年に父が亡くなると、アンヌはオーヴェルニュのドーファン領を継いだ。以後17年にわたってこれを治め、継母マルグリットの追悼の儀式も設けた。1410年に夫のルイがモンリュソンで亡くなり、長男のジャンがブルボン公位を継いだ。アンヌはその後7年間、自らの領地を治めたのち、1417年9月22日に没した。亡くなった場所はムーランとも、クレッペともいわれる。遺骸は夫のそばに、ムーラン近くのスヴィニー修道院に葬られた。ジャンとイザベルがアンヌより長く生き、ジャンはフォレ伯領を継いだ。孫のモンパンシエ伯ルイ1世が、のちにドーファン領を相続した。
同じ年に亡くなった人物
- グレゴリウス12世 (ローマ教皇) (1417年没)
- ルイ2世・ダンジュー (1417年没)
- イブラヒム1世 (1417年)
- ウィツィリウィトル (1417年)
- ヴィルヘルム2世 (バイエルン公) (1417年没)
同じ地域に関係する人物
- パラディウス (450年没)
- ジャン2世 (ブルボン公) (1488年没)
- モーリス・ジェルモー (1958年没)
- ジョン・ライアンズ (2020年没)
- ルイ2世 (ブルボン公) (1410年没)