HISTORICAL PERSON · 1961年没

アーネスト・ヘミングウェイ

アメリカの小説家・詩人で、1954年にノーベル文学賞を受賞。代表作に『日はまた昇る』『武器よさらば』『誰がために鐘は鳴る』『老人と海』がある。

生涯
1961年没
死亡地
アメリカ合衆国(アイダホ州 / ケッチャム)
出生地
アメリカ合衆国(オーク・パーク)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(アイダホ州)

伝記

アーネスト・ミラー・ヘミングウェイは、1899年7月21日にアメリカ合衆国イリノイ州オークパークで生まれた小説家、詩人である。父クラレンスは医師、母グレースは声楽家で、6人きょうだいの2番目にあたる。幼少期は母の嗜好で女の子の服を着せられ、子供心にそれを疎んじていたという。一方、父は活動的な人物で、釣りや狩猟、ボクシングの手ほどきを受けた。その父は後に拳銃で自殺している。1913年に地元の高校へ入学し、1916年には初の短編小説「マニトウの裁判」を学校の雑誌に発表した。

高校を出た1917年10月にカンザスシティの地方紙の見習い記者となったが、1918年4月に退職した。同年、赤十字の一員として第一次世界大戦の北イタリアのフォッサルタ戦線に赴き、運転手として働いていたときに、負傷兵を助けようとして砲弾の多数の破片を浴び、重傷を負った。入院先で出会った7歳年上の看護婦アグネス・フォン・クロウスキーに恋をしたが、この恋は実らなかった。このエピソードは『武器よさらば』の下敷きになったという。戦後の1920年にはカナダのトロントで新聞のフリー記者となり、翌年に特派員としてパリに渡って、1922年にガートルード・スタインらと知り合った。1921年9月には最初の妻ハドリー・リチャードソンと結婚している。

パリ時代は、ハドリーと息子とともにアパルトマンに暮らした。当時の様子は晩年の『移動祝祭日』で自ら回想している。シルヴィア・ビーチが営む書店を利用して、エズラ・パウンドやスコット・フィッツジェラルドらと親交を得た。1926年に『日はまた昇る』を発表し、1927年にハドリーと離婚してポーリン・ファイファーと再婚した。1928年にフロリダ州キー・ウェストへ居を移し、同年12月に父が拳銃で自殺した。翌1929年に『武器よさらば』が出版された。短編には簡潔な文体の作品が多く、これらはハードボイルド文学の原点とされる。主人公の多くは、ニック・アダムズという作者の分身ともいえる青年である。

行動派の作家で、1936年にスペイン内戦が起こると、北米新聞連盟とスペイン内戦報道の契約を結び、1937年の映画『スペインの大地』ではナレーション原稿を書いて、語りも務めた。1940年には『誰がために鐘は鳴る』が出版された。ポーリンと離婚した後、マーサ・ゲルホーンと結婚し、1945年に離婚、1946年にメアリー・ウェルシュと結婚している。戦中、戦後にかけては心身の不調もあって低調だったが、1950年の長編『河を渡って木立の中へ』は商業的には成功したものの、批評家からは酷評された。これに激怒しながら短期間で書き上げて1952年に発表した『老人と海』は一転して高く評価され、復活を印象づけた。翌年にピュリッツァー賞を、1954年にノーベル文学賞を受賞して、名声は頂点に達した。しかし同年に二度の飛行機事故に遭い、健康状態が悪化したため、授賞式には出られなかった。

その後も国際的な盛名は保ったが、それまでの売りだった肉体的な頑強さや行動的な面を取り戻すことはなかった。晩年は事故の後遺症や双極症などの精神的な病気に悩まされ、執筆も滞りがちになった。1961年7月2日の早朝、愛用していた散弾銃で自殺を遂げた。61歳であった。当初は銃の手入れ中の暴発による事故死と報じられたが、後に遺書が見つかったため、自殺と断定されたとされる。生家のあるオークパークとキー・ウェスト、キューバのフィンカ・ビヒアの家が公開されており、キー・ウェストの屋敷では、彼が飼った六本指の猫の子孫が今も暮らしている。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物