伝記
メルヴィン・シュワーツは、1932年11月2日にニューヨーク市で生まれたアメリカ合衆国の物理学者である。世界大恐慌の時代にニューヨークで育ち、ブロンクス科学高校に通った。物理学に興味を持ったのは12歳のときだったという。
コロンビア大学で物理学を学び、1953年に学士号を得た。当時は、ノーベル物理学賞を受けたイジドール・イザーク・ラービが物理学科の学科長を務めていた。シュワーツは大学院でもコロンビアに残り、ラービの指導のもとで1958年に博士号を取得し、同じ年に助教授となった。1963年には正教授になっている。ジャック・シュタインバーガーは彼の指導役であり、友人でもあった。のちにノーベル賞につながる実験は、物理学者の李政道の着想にもとづくものだった。シュワーツはこの研究を通じてニュートリノに取り組み、レオン・レーダーマン、シュタインバーガーとともに、ニュートリノのビームをつくる方法を開発した。ニュートリノは電荷を持たず、質量もほとんどなく、自然界ではまれにしか起こらず、飛ぶ向きも散らばるため、研究には使いにくい。そこで彼らは、きわめて多数のニュートリノからなるビームをつくって固体の物質に当て、検出器で調べる方法を考えた。この方法で、ミューニュートリノを発見し、レプトンが二つ一組の構造をもつことを実証した。
1966年、17年を過ごしたコロンビア大学を離れ、完成が近づいていたスタンフォード線型加速器センターのあるスタンフォード大学に移った。1983年まで物理学の教授を務め、この間、線型加速器を用いて、中性のK中間子の崩壊に見られる電荷の非対称性などを調べた。1970年には、コンピューターの安全に関わる装置を設計する会社ディジタル・パスウェイを設立し、社長となった。1991年にはブルックヘブン国立研究所の高エネルギー物理学と原子物理学の上席研究官に就き、同じ年にコロンビア大学に戻って物理学の教授となった。1994年にI・I・ラービ記念の教授職に就いたのち、2000年にラービ名誉教授として引退し、アイダホ州に移った。
1988年には、ニュートリノビーム法の開発と、ミューニュートリノの発見によるレプトンの二重構造の実証により、レーダーマン、シュタインバーガーとともにノーベル物理学賞を受賞した。翌1989年には、アメリカ功績アカデミーのゴールデン・プレート賞を受けた。2006年8月28日、アイダホ州のツイン・フォールズで亡くなった。パーキンソン病とC型肝炎を患っていたという。
同じ年に亡くなった人物
- ラーシュ・イェーレンステン (2006年没)
- Charles Leonard (2006年没)
- Cheikha Rimitti (2006年没)
- マリスカ・ヴェレス (2006年没)
- ロン・グリーンウッド (2006年没)
同じ地域に関係する人物
- アン・サザーン (2001年没)
- ロバート・アドラー (2007年没)
- セシル・D・アンドラス (2017年没)
- モーリン・オハラ (2015年没)
- ジョージ・ケネディ (2016年没)