HISTORICAL PERSON · 1434年没

ベルンハルト1世 (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公)

ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公。父の戦死後の相続争いを経てリューネブルクとヴォルフェンビュッテルを統治し、子孫はのちにハノーヴァー朝を興した。

生涯
1434年没
死亡地
ドイツ連邦共和国(ニーダーザクセン州 / ツェレ)
出生地
—
出典
世界地図
ドイツ連邦共和国(ニーダーザクセン州)

伝記

ベルンハルト1世は、1358年から1365年のあいだに生まれ、1434年6月11日に没した、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公家の公である。リューネブルク侯(在位1388年から1409年、1428年から1434年)、ヴォルフェンビュッテル侯(在位1400年から1428年)を務めた。父はマグヌス2世、母はカタリーナ・フォン・アンハルト=ベルンブルクで、その次男にあたる。兄にヴォルフェンビュッテル侯フリードリヒ1世、弟にハインリヒ1世がいた。

ベルンハルトは、父の時代からのリューネブルク継承戦争に関わった。ヴェルフ家とザクセン=ヴィッテンベルクのアスカニア家が争ったこの戦争で、父マグヌス2世は1373年に戦死した。同じ年、ハノーファーで結ばれた条約により、リューネブルクの公領は、両家の諸侯が交互に治めることが定められた。ベルンハルトは1375年から名目上、1385年からは実質的に統治に加わった。1385年にはシュヴィヒェルデ家との争いで捕らえられ、身代金を払って釈放された。1386年に、ザクセン選帝侯ヴェンツェルの娘マルガレーテと結婚し、3人の子が生まれた。1388年にはヴェンツェルに対して反乱を起こして撃破し、ヴェンツェルが居城ツェレを包囲したのちに急死したため、弟ハインリヒ1世とともにリューネブルク侯領を継いだ。

1400年に兄のフリードリヒ1世が暗殺されると、兄に息子がなかったため、ベルンハルトとハインリヒは、ヴォルフェンビュッテル侯領も一緒に受け継いだ。暗殺の首謀者と疑われたマインツ大司教と、実行者とされたヴァルデック伯ハインリヒ7世に対して、二人は報復の戦いを起こした。ベルンハルトは、エルツェンを拠点とするエーファーシュタイン伯ヘルマン7世も討伐した。戦いは長く続き、1408年に和平条約が結ばれ、ヘルマン7世の娘エリーザベトを、ベルンハルトの嫡子オットー4世に嫁がせることで成立した。1409年には、ハインリヒ1世との条約で、リューネブルクはハインリヒ1世が単独で治め、ベルンハルトはヴォルフェンビュッテルを治めることになった。1424年には、娘のカタリーナがポンメルン公カジミール5世に嫁いだが、1429年に没した。

1428年にベルンハルトは、甥にあたるハインリヒ1世の息子ヴィルヘルム1世、ハインリヒ2世の兄弟と領土を交換し、リューネブルク侯となった。1434年に死去すると、二人の息子オットー4世とフリードリヒ2世が、リューネブルクを共同で相続した。1634年にハインリヒ1世の系統が断絶すると、ベルンハルトの子孫が、ヴォルフェンビュッテルとカレンベルクの侯領を継いだ。

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