伝記
ハインリヒ16世は、1386年に生まれ、1450年7月30日にランツフートで没した、下バイエルン=ランツフート公である。「富裕公」とも呼ばれ、15世紀のランツフート公家に続いた有名な三人の富裕公の最初の人であった。父はフリードリヒ、母はミラノのベルナボ・ヴィスコンティの娘マッダレーナ・ヴィスコンティで、その長子であった。二人の妹と、父の最初の結婚による異母姉がいた。
1393年に父が没したとき、ハインリヒはまだ7歳であった。母マッダレーナが摂政となり、父方の叔父シュテファンとヨハンが後見人となった。1404年に母が没すると、自ら統治するようになった。1405年にオーストリア公アルブレヒト4世の娘マルガレーテと婚約し、二人は血縁が近かったため、教皇の特免が必要となり、1412年11月12日に与えられた。同月25日、ハインリヒは17歳のマルガレーテとランツフートで結婚した。二人の間には6人の子が生まれ、そのうち成人した息子は、跡を継ぐルートヴィヒ9世だけであった。
ヴィスコンティ家の黒髪とともに、専制的な気質も受け継いでいたとされ、1410年に起こったランツフート市民の反乱を、ひどく残酷に鎮圧した。居城としたランツフートのトラウスニッツ城は、巨大な規模に改築、拡張された。従兄弟でインゴルシュタット公のルートヴィヒ7世(髭公)とは戦って成功を収め、1414年のインコ同盟や、1415年のコンスタンツ同盟によって、ルートヴィヒの敵をまとめた。1429年に下バイエルン=シュトラウビング公家が断絶すると、その領土を、ルートヴィヒ7世、エルンストと分割して相続した。1443年には、ルートヴィヒ7世の子ルートヴィヒ8世と同盟し、ルートヴィヒ7世を捕らえた。1445年にルートヴィヒ8世が、1447年にルートヴィヒ7世も幽閉されたまま没し、インゴルシュタット系が断絶したため、ハインリヒはその領土をほぼ全て手に入れた。
ハインリヒは、妻を自らの自由のためにブルクハウゼン城へ追放した。この習慣は、息子と孫にも受け継がれた。素性の知られない愛人との間に、庶子が3人いた。ゲオルク・フォン・ツァングベルクは結婚して子をもうけ、エリーザベトとバルバラは修道女になった。1450年に没したが、死因は、しばしば伝えられるようにペストであったかどうかは確かでない。跡は、生き残った唯一の嫡子ルートヴィヒ9世が継いだ。
同じ年に亡くなった人物
- ヴァシーリー・コソイ (1450年代没)
- Giovanni d'Alemagna (1450年)
- アブドゥッラティーフ (1450年没)
- ニルス・イェンセン・オクセンシェルナ (1450年)
- バジル・バレンタイン (1450年)
同じ地域に関係する人物
- ゲオルク・フリードリヒ2世 (ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯) (1703年没)
- ゲオルク・フリードリヒ・カール (ブランデンブルク=バイロイト辺境伯) (1735年没)
- エミール・ワールブルク (1931年没)
- カール・テオドール・フォン・シーボルト (1885年没)
- パウル・ギースラー (1945年没)