HISTORICAL PERSON · 1966年没

老舎

中国の小説家・劇作家。北京の人々を描いた『駱駝祥子』『茶館』などが代表作で、文化大革命で犠牲となった代表的な著名人でもある。

生涯
1966年没
死亡地
中華人民共和国(Taiping Lake)
出生地
中華人民共和国(北京市)
出典
世界地図
中華人民共和国(北京市)

伝記

老舎は、1899年に北京の満洲旗人の貧しい家に5人兄弟の末子として生まれた中国の小説家・劇作家である。本名は舒慶春といい、字は舎予で、老舎はペンネームである。苗字の「舒」の字の偏をとったものとされる。父は紫禁城の近衛兵だったが、義和団の乱のさなかに亡くなり、母が他家の雑用や洗濯の仕事をして、貧しい少年時代を過ごした。母から聞かされた外国人の残虐さの話は、どんな昔話よりも事実で、一家に直接の影響を与えたと、のちに回想している。慈善家の支援を受けて私塾に入ったのをきっかけに、新制の小学校を経て、北京師範学校を1918年に卒業した。19歳で小学校長に赴任し、1918年から1924年まで、北京や天津の学校で管理者や教員を務めた。五四運動に大きな影響を受け、あの運動が自分に新しい精神と文学の言葉を与えてくれたと語っている。1922年には洗礼を受け、キリスト教に入信した。

1924年、英語学習のために聴講していた燕京大学のイギリス人教授の紹介で渡英し、ロンドン大学東方学院で中国語講師を務めた。ロンドンでは英文学、とくに敬愛したディケンズを吸収し、ホームシックをきっかけに創作を始める。1926年に処女長編『張さんの哲学』、1927年に『趙子曰』、1929年に『馬さん父子』を立て続けに書き、雑誌『小説月報』に掲載された。『張さんの哲学』で初めて老舎のペンネームを使ったという。1929年の夏にイギリスを離れ、シンガポールの華僑中学で教え、1930年春に帰国して、斉魯大学や山東大学で教えながら作家活動を続けた。1931年に胡絜青と結婚し、同年に児童小説『小坡の誕生日』を発表して、『猫城記』や『離婚』などを書いた。

1936年に作家活動に専念するため山東大学を辞し、代表作『駱駝祥子』を発表した。1937年の盧溝橋事件の後は抗日運動に身を投じ、北京から武漢へ単身赴いた。1938年3月27日に中華全国文芸界抗敵協会が設立されると、その責任者となり、文化人を結集して日本に抵抗した。1944年に抗日戦争を題材にした大河小説『四世同堂』の執筆を始めた。戦後の1946年、アメリカ国務省の招きで渡米し、講演や自作の翻訳の監修を行って、『四世同堂』の第3部を脱稿した。周恩来の呼びかけに応じて1949年12月に帰国し、北京市文学芸術界連合会などで指導的な立場に立った。1950年に戯曲『龍鬚溝』を、1957年に『茶館』を発表し、いずれも北京人民芸術劇院で上演された。

1966年に文化大革命が起こり、同年8月23日、紅衛兵から「現行反革命分子」などとして集団リンチを受け、翌日行方不明となった。8月25日、北京の太平湖のほとりで遺体が発見され、侮辱に耐えかねての抗議の自殺と推定されている。中国政府は死を公開しなかったが、日本の作家たちはその死を悼んだ。1978年に鄧小平によって名誉回復され、1979年には未完の自伝的小説『正紅旗下』が発表された。『茶館』は再演され、今日まで繰り返し上演されて、中国話劇の最高の作品と賞される。1997年に旧宅が修理されて記念館となり、1999年の生誕百周年に合わせて一般公開された。

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