HISTORICAL PERSON · 1967年没

フォルーグ・ファッロフザード

イラン現代文学で最も優れた女性詩人の一人とされる詩人・映画監督。大胆に女性の声を主張する詩で論議を呼び、初の詩集は『囚われ人』。

生涯
1967年没
死亡地
イラン共和国(マルキャズィー州 / タフレシュ)
出生地
イラン共和国(テヘラン)
出典
世界地図
イラン共和国(マルキャズィー州)

伝記

フォルーグ・ファッロフザードは、1930年代半ばにテヘランで生まれたイランの詩人・映画監督で、イラン現代文学で最も優れた女性詩人の一人とみなされている。生年月日には食い違いがあり、1934年末から1936年初めまでの説がある。父は職業軍人の大佐モハンマド・バーゲル・ファッロフザード、母はトゥーラーン・ヴァジーリー=タバルで、七人きょうだいの四番目として生まれた。弟のフェリドゥーンは著名な歌手・詩人である。9年生まで学校に通い、その後は女子のための学校で絵画と手芸を学んだ。16歳で著名な風刺作家パルヴィーズ・シャープールと結婚し、絵画と手芸の勉強を続けながら、夫とともにアフヴァーズに移り住んだ。1年後に息子カームヤールを産んだが、約2年の結婚生活ののち夫と離婚し、子どもの親権は夫のものとなった。幼い息子と引き離され、会える機会もわずかだったことは、彼女にとって生涯の大きな悲しみであったと伝えられる。彼女はテヘランに戻り、最初の詩集『囚われ人』を出版した。

大胆に女性の声を主張する詩を書いたため、論議を呼び、否定的に評価されたり、あからさまに批判されたりもした。1958年に9か月間ヨーロッパで過ごし、イランに戻ると、映画監督で作家のエブラーヒーム・ゴレスターンと出会って、もっと自分自身を表現し、自立して生きることを勧められた。『壁』と『反逆』の二つの詩集を立て続けに出版し、1962年にはタブリーズでハンセン病患者を撮影し、ドキュメンタリー映画『あの家は黒い』を制作した。この作品は国際映画祭でいくつも賞を獲得し、イランのニュー・ウェーブの重要な作品とされる。撮影の12日間に、ハンセン病の両親をもつ子どもに愛着を覚え、少年を養子に迎えて母の家に引き取った。1964年に詩集『新たなる生』を出版し、その詩は成熟して洗練され、それまでの近代イランの詩に大きな変革をもたらした。

初期の三作は、マスナヴィー形式で書かれ、形式や韻律の点でも古典作品を継承していた。しかし『新たなる生』以降は、ペルシア古典詩の形式によって内容に制限が加えられることに反対し、「形式から内容へ」という従来のあり方を否定して、「内容から形式へ」を基本理念とした。詩的言語を古典詩の韻文調から離して散文の言葉に近づけ、自然な会話のリズムを用いたのは、現代詩の祖ニーマー・ユーシジの主張を意識的に受け継いだものだった。ただし、韻律やリズムを捨てたのではなく、詩の内容に合わせた独自のものを創り出した。古典詩では使われないような日常的な単語をも取り入れ、互いに結びつかないような単語を組み合わせて新しいイメージを喚起し、同じ単語や語句の繰り返しによって感情を強調した。「庭」は真実の世界を、「窓」は真実の世界に向かうものを、「家」は伝統的で形式的なイラン社会を表すなど、単語に独自のイメージを与えた。

1967年2月、フォルーグは32歳の若さで交通事故のために亡くなった。スクールバスをよけようとジープのハンドルを急に切って石の壁にぶつかったとされ、病院に着く前に息を引き取ったと伝えられるが、正確な経緯については議論がある。詩集『寒い季節の訪れを信じよう』は死後に出版された。

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