伝記
ルネ・フランソワ・ギラン・マグリットは、1898年11月21日にベルギー西部のレシーヌで生まれたシュルレアリスムの画家である。一家は生まれた翌年にジリという町に移り、1904年にシャルルロワ近郊のシャトレに移った。1904年から1916年まで、少年時代の大部分をシャトレで過ごした。弟ポールと組んでひどいいたずらを繰り返す悪童だったという。1912年には母が原因不明の入水自殺をとげ、少年マグリットに大きな衝撃を与えた。1916年にブリュッセル王立美術アカデミーに入学し、コンスタン・モンタルドらの授業を受けた。
1910年代後半から1920年代前半は、画家として自分の様式を模索した時期だった。この時期にキュビスム、未来派、ダダ、デ・ステイルなどの運動を知り、前衛的な詩人や芸術家とも交際するようになった。生活費を得るためにグラフィックデザインや広告ポスターの仕事をしながら、抽象画や、キュビスムの影響を感じさせる作品を描いた。1922年には幼なじみのジョルジェット・ベルジェと結婚した。ジョルジェットは、多くのマグリット作品に登場する女性像のモデルとなった。1923年(1925年とする説もある)、ジョルジョ・デ・キリコの作品の複製を見て、「涙を抑えることができない」ほどの感銘を受け、これがきっかけでシュルレアリスムの方向へ進んでいった。1926年の『迷える騎手』が最初のシュルレアリスム的な作品とされる。
1927年にブリュッセルの画廊で初個展を行い、以後3年間パリに滞在して、フランスのシュルレアリストたちと交流した。しかしマグリットは、運動の理論的指導者アンドレ・ブルトンとはうまが合わなかったらしく、1930年にブリュッセルへ戻って、以降ベルギーを離れることはほとんどなかった。生涯は芸術家にありがちな波乱や奇行とは無縁の平凡なものだった。ブリュッセルでは、客間、寝室、食堂、台所からなるつましいアパートに住み、幼なじみの妻と生涯連れ添い、ポメラニアン犬を飼い、待ち合わせに遅れず、夜10時には就寝した。写真はいつもスーツにネクタイ姿で、実際にその服装で絵を描いたという。専用のアトリエはなく、台所の片隅にイーゼルを立てて制作したが、服を汚したり床に絵具をこぼしたりすることは決してなかった。
作品では、事物の形象がきわめて明確に描かれ、筆触をほとんど残さない古典的ともいえる描法で、丁寧に仕上げられている。しかし、そこに表されるのは、空中に浮かぶ岩、鳥の形に切り抜かれた青空、指の生えた靴といった不可思議なイメージで、不可思議な題名と相まって、見る者を戸惑わせる。事物を本来の文脈から切り離して別の文脈に置くデペイズマンやコラージュを造形の原理とし、マグリットの独自性は、これを絵だけでなく言葉を用いて行ったことにある。『イメージの裏切り』では、パイプの絵の下に「これはパイプではない」と書き添えた。画家自身は絵画を「目に見える思考」と呼び、世界が本来もつ神秘を示すものと考えた。「言葉とイメージ」の問題を追求した作品は、ミシェル・フーコーのような思想家にも発想の源を与えた。ポップ・アートやコンセプチュアル・アートにも影響を与え、ビートルズがつくったレコード会社の意匠には、ポール・マッカートニーが所有するマグリットの絵が使われた。1967年8月15日に世を去った。
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