伝記
ジョン・スタインベックは、1902年2月27日にカリフォルニア州モントレー郡サリナスで生まれたアメリカの小説家・劇作家である。「アメリカ文学の巨人」と呼ばれ、生涯に27冊の本を出版した。大恐慌の影響で貧窮にあえぐ小作農民の姿を描いた『怒りの葡萄』でピューリッツァー賞を受賞し、1962年にはノーベル文学賞も受けた。姉2人と妹1人のいる家の長男で、祖父は多くの農地を持つドイツ系移民、父はドイツ系2世の出納吏、母はアイルランド系の小学校教師で、彼の読み書きの力を育てた。幼少期は聖公会に属したが、後年は不可知論者になった。幼い頃から『罪と罰』や『失楽園』、『アーサー王の死』などを読み耽る文学好きの少年で、学級委員も務めた。
高校卒業後は一時砂糖工場で働き、移民の生活や人間の負の面を経験した。この経験は『二十日鼠と人間』などに生かされている。1920年にスタンフォード大学の英文学部に入学したが、1921年度は授業を全休して、牧場や道路工事などの労働を経験した。1925年に海洋生物学を学んだのちに学位を取らずに退学し、ニューヨークで出版を試みたが失敗し、カリフォルニアへ帰った。3年間山小屋やマス孵化場で働きながら作品を書き、1928年にタホ湖のツアーガイドとなり、最初の妻キャロル・ヘニングと出会った。1930年に結婚したが、世界恐慌で資金が尽きると、父が所有するパシフィック・グローブの別荘に無料で住まわせてもらい、釣りやカニの採取、野菜によって、働かなくても生きていけた。同年に、終生の師となる海洋生物学者エド・リケッツと出会い、彼から哲学と生物学を教わった。1930年から1936年にかけて、夫妻はリケッツの研究所で働いた。
1929年に『黄金の杯』で作家デビューしたが、世間からは完全に無視された。四年の沈黙の後、1932年に『天の牧場』を発表し、1935年にはモントレーの人々の原始的な生活をユーモラスに描いた『トーティーヤ平』を出して、注目を集め始めた。1934年の短編『殺人』はO・ヘンリー賞を受賞している。1937年の『二十日鼠と人間』を経て、1939年4月に、耕作機械によって土地を奪われた農民たちのカリフォルニアへの旅を描いた『怒りの葡萄』を出版し、賛否両論を引き起こした。翌1940年にこの作品はピューリッツァー賞と全米図書賞を受賞し、ヘンリー・フォンダ主演で映画化されて、彼の名声は不動のものとなった。1942年の『月は沈みぬ』では、ナチス・ドイツに対するノルウェー市民の抵抗を描き、ノルウェー国王から勲章を授けられた。1950年には、聖書の物語を背景にカリフォルニアの一家族の歴史を描いた大作『エデンの東』を発表し、5年後にジェームズ・ディーン主演で映画化された。
しかし、晩年は国内の批評家からの評価が必ずしも芳しくなかった。1942年にキャロルと離婚し、1943年にグウィンドリン・コンガーと結婚して二人の息子をもうけたが、1948年に離婚した。同年、リケッツが車と電車の衝突事故で死亡し、数か月間悲しみに沈んだ。1950年に舞台監督のエレイン・スコットと再婚し、この結婚は死ぬまで続いた。1968年12月20日、ニューヨークで心臓発作を起こして亡くなり、遺言どおり火葬された。批評家は、彼はノーベル賞を必要としなかったが、ノーベル賞は彼を必要とした、と評した。
同じ年に亡くなった人物
- チャールズ・ベーコン (1968年没)
- チャールズ・チャップリン・ジュニア (1968年没)
- ドロシー・ホルマン (1968年没)
- キリル・メレツコフ (1968年没)
- マックス・ブロート (1968年没)
同じ地域に関係する人物
- エドガー・レナード (1948年没)
- マーシャル・ニーレンバーグ (2010年没)
- アーンスト・アレキサンダーソン (1975年没)
- スタンリー・クニッツ (2006年没)
- マックス・ヴェルトハイマー (1943年没)