HISTORICAL PERSON · 1968年没

ヘンリー・ハレット・デール

英国の薬理学者・生理学者。アセチルコリンが神経の伝達物質であることを発見し、1936年にレーヴィとノーベル生理学・医学賞を受賞した。

生涯
1968年没
死亡地
イギリス連邦(ケンブリッジシャー / ケンブリッジ)
出生地
イギリス連邦(イズリントン)
出典
世界地図
イギリス連邦(ケンブリッジシャー)

伝記

ヘンリー・ハレット・デールは、1875年6月9日にロンドンのイズリントンで生まれたイギリスの薬理学者・生理学者である。アセチルコリンが神経の信号を伝える物質になっていることを明らかにし、その功績で、1936年にオットー・レーヴィとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。父チャールズは、スタッフォードシャー出身の陶器製造業者で、母フランシスは家具製造業者の娘だった。7人兄弟の3番目で、弟のベンジャミンは作曲家となり、王立音楽院の学長を務めた。地元の学校を経て、ケンブリッジのレイズ・スクールで学んだが、同校の寮の一つには、のちに彼の名が付けられている。

1894年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学し、生理学者ジョン・ラングレーのもとで研究を行った。1903年の数か月間は、ドイツのフランクフルトでパウル・エールリヒのもとに留学した。同じ年には、スターリングとベイリスが犬の生体解剖を行う際に助手を務めたが、この解剖は、のちの「茶色い犬事件」を引き起こす出来事のひとつとなった。1904年に従姉妹のエレン・ハリエット・ハレットと結婚し、1男2女をもうけた。娘のひとりアリソンは、1957年にノーベル化学賞を受賞したアレクサンダー・トッドの妻となった。1909年にケンブリッジ大学で医学博士の学位を得た。ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで、のちの共同受賞者となるレーヴィと知り合い、友人になった。

1914年に王立協会のフェローに選ばれ、同年、ロンドンの国立医学研究所で、生化学・薬理学部門の責任者となった。この年、デールらは、アセチルコリンが神経伝達物質である可能性を初めて同定し、レーヴィがその神経系での重要性を示した。1940年代には、シナプスでの信号の性質をめぐる科学上の論争に巻き込まれた。デールらは、シナプスの信号は化学物質によるものだと主張し、ジョン・エックルスらは、電気的なものだと考えた。後に、ほとんどのシナプスの信号は化学的であり、一部が電気的であることが判明した。

デールはまた、放出する神経伝達物質の種類によってニューロンを分類する体系を初めて考案した。ノルアドレナリンを放出するものはノルアドレナリン作動性、ガンマアミノ酪酸を放出するものはガンマアミノ酪酸作動性というように分ける。これは「デールの原理」と呼ばれ、その解釈のひとつでは、一つのニューロンは一種類の伝達物質しか分泌しないとされる。この解釈は現在は間違いとされ、多くのニューロンが、アセチルコリンなどのほかに、ペプチドやアミノ酸も分泌することが分かっている。その後、1932年にナイトに叙せられ、1943年に大英帝国勲章、1944年にメリット勲章を受けた。1940年から1945年には王立協会の会長を務めた。第二次世界大戦中は、政府の科学顧問団に加わった。1942年には王立研究所の化学のフラー教授職に就いている。1938年から1960年までウェルカム財団の理事長を務めた。その功績をたたえて、引退の際には医療設備を備えた小型船「レディ・デール」が造られ、ガンビア川で以後30年間、医療を提供した。1968年7月23日にケンブリッジで死去した。

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